大工道具に生きる

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  大工棟梁 香川量平
(ちょうな)の話

草戸千軒
出土の釿

 関東、関西の大工道具を見渡してみると、それぞれの土地風や親方によって、名称や呼び名が、少し違っている大工道具があります。厚木市の前場幸治さんと、関東と関西の大工道具の呼び名などの違いの対談を一度やろうと申し込んでいます。四国の大工は香川県の塩飽大工や山口県の長州大工の流れをくんでいるので、私の書く大工道具の話の中にも多々間違いがあろうと思いますが、お会いした折にはご忠告下さい。
 古い昔から大工の三宝と呼ばれる大工道具の中に「釿」があります。「手斧」とも書きますが。大変に危険な道具の一つに数えられています。研ぎすました刃物が使い手の方に向かってくるからです。そのような訳で、昔の大工には誰もが、向う脛に一つや二つの釿の傷跡を持っております。大変に危険な道具なのですが、これ程大きな力を持つ大工道具は他にはありません。昔の農家の小屋組は、ほとんどが、大きな松の丸太組み合わせて作り上げていました。山で木本祭りが終わり、伐採された松丸太は山里の広場に集められ、親方の指示で、大工は釿で松の丸太を十二角に爪剥ぎした真っ白い松丸太の肌に親方が墨掛けを行います。危険な仕事なので、親方は職人連中に油断させまいと、きつい指示を行うのです。そして釿の化身「本地薬師如来」に怪我のなきようにお祈りしていたのでしょう。
 親方のきつい指示と、お祈りが終わると大工職人は、頭にねじり鉢巻きをして心を引き締め釿を使って松丸太の墨掛けどおりに刻んでいくのです。その時、釿の大きな力が最大限に発揮されるのです。油断すると、この時自分の向う脛に大きな釿の傷跡を残すことになるのです。
 松山市堀江町の変わり鍛冶、白鷹幸伯さんは釿の語源は「ておの」が「ちょうな」になり「与岐」は木を横に切るから、その名があり「鐇(たつき)」は木を縦に割るから、その名が付けられていると説明してくれました。


草戸千軒
鉄斧

 釿の歴史は大変に古く、「釿は生きている化石」と大工道具の歴史の書物に、故村松貞次郎先生が説明しています。また中村雄三氏の「道具と日本人」の著者に、山梨県、大丸山古墳、大阪府、七観古墳、同、百舌鳥大塚山古墳、奈良県北葛城郡美村尼寺から鉄柄付きの完形品が出土している。と述べ、これら全鉄製の釿は、儀器として埋葬されたのであろうと説明しています。古墳時代に埋葬された全鉄製の釿と、現在私たち大工が使っている釿の姿や形がほとんど変わっていないので、村松先生は「釿は生きている化石である」と説明しているでしょう。変わっているところと言えば柄をつなぐ箱形の(ひつ)(釿の刃を柄に取り付ける箱状のところ)の部分と、木製の柄ぐらいですが、その当時の釿の(ひつ)は、現在のようなではなく、刃と一体化したもので袋状になっていて、無理なハツリはできなかったが慶長の頃には現在のような箱形の(ひつ)が釿刃に取り付けられ、両手を使って、木材のはつりができるようになっただろうと、村松先生は説明しています。
 釿の(ひつ)は一見なんでもないように見えますが、使い手によっては大変に重要な役割を果たしているのです。昔から「釿を買うなら(ひつ)を買え」と大工仲間の間で言い伝えられています。「櫃ふり」と呼ばれる不良品があるからです。釿は(ひつ)を入れかえることで、手斧にも釿にもなり使用できるので、完全な正四角の(ひつ)が大切なのです。また松丸太の上具材の墨掛けの基準である「矩場(かなば)」と呼ばれる部分をはつる時、水平にはつったと思ってもはつれておらず、二度、三度と繰り返していると、後ろから「ピシャッ」と親方の指金が首筋に飛んでくるのです。水平にうまくはつれないのは釿の櫃ふりが原因しているからです。そんな訳で大工は釿刃の右と左の刃ぶりがないよう細心の注意をはらっていたのです。
 四国の大工が「瓢箪丈」と呼ばれる銘の釿を好んだのは釿の(ひつ)が意外と正確に作られていて「櫃ふり」が少なかったからでした。また弟子の「瓢箪正」の釿も好評で現在も多く使われております。四国にはもう一つ釿にまつわる不思議な話があります。私の親方は釿の刃跡を嫌うのは「厠の神」であると言って、便所の梁や中引の釿の刃跡は、すべて丸鉋で削り取らせていました。その理由は聞きもらしているが「厠は死の世界である、厠に入る時は気をつけろ、必ずノックするか咳払いをしろ、裸や洗い髪で厠に入るな、厠の壷の中に唾を吐くな」などと言って極度に厠の神を恐れていました。厠の神が釿の美しい刃跡を嫌うのはなぜでしょうか


和漢三才図会

 江戸時代の中頃に大阪の医者でである寺島良安が「和漢三才図会」を書き表しました。その辞書の百工具の項に「釿」と書いて「ておの」と読ませ、和名で「天乎乃」と書いています。「按ずるに手斧なり。また小釿あり、片手をもって木をはつる。柄は楡をもって上となす。(えんじゅ)、欅これにつぐ」と書かれています。小さな片手釿は昔からあり、現在も棒屋と呼ばれる店で農道具を作る木工職人が使っていることがあります。
 寺安良安は釿の柄は楡か(えんじゅ)か欅であると説明していますが、現在では、ほとんどが(えんじゅ)の木であります。戦後、竹を張り合わせた釿の柄が出廻った事がありましたが、「手の汗が退かず、手に与える衝撃がきつく、掌がマメだらけ」と言う大工が多くいて、結局、使いものになりませんでした。
 釿の柄には昔から使ってきた(えんじゅ)の柄が好評で、今もほとんどの大工は(えんじゅ)の柄を使っています。釿は刃も大切ですが、やはり釿の(ひつ)と柄の良質なものが一番のように思います。(えんじゅ)の柄は粘りが強く、木をはつる時の衝撃が少なく、使い手にこびかない。そして柳の木のように、しなりと粘りがあり、使い手の汗を(えんじゅ)の木が吸収するため、手が滑りません。これらを四国の大工は「しなり手」と昔から呼んでおります。使いやすいと言う意味です。
 昔から大工の一番きつい仕事のことを「一錐、二鋸、三釿」と呼んでいます。釿の「はつり仕事」は大変な重労働ですし、大変な危険が伴う仕事なのです。しかし釿の柄に使われている(えんじゅ)には危険な「はつり仕事」から大工を守ってくれる利点を持ち合わせているのです。(えんじゅ)という文字は木偏に鬼と書きますが鬼は「鬼才」といって、人並み以上に優れていて、才気の優れた気性で。才知の優れた働きをしてくれる。という意味を持っています。(えんじゅ)の木は中国原産ですが、現在では我が国固有であると思いこんでいる人が多くいるそうです。現在、大工が使っている釿の柄の(えんじゅ)の木は、ほとんど北海道産が多く、北海道ではアイヌ人の墓標に(えんじゅ)の木が使われているそうです。
 お隣の国、中国では(えんじゅ)は出世の木とされています。中国の故事の著書の中に「南柯の夢」という伝説があります。古い昔、唐の国に淳宇分という男が、庭の(えんじゅ)の木の下で眠り、夢の中で槐安国王に迎えられて南阿郡という地方の大守となり、その地方を二十年にわたって治め、出世した夢を見た伝説です。「槐安の夢」とも言われています。中国では(えんじゅ)は出世木で、庭に槐を植えて子孫の栄達を願うことを「三槐を植う」と、満久崇麿氏の著書、「同名異木のはなし」の中に書き表されています。