大工道具に生きる

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  大工棟梁 香川量平
(ちょうな)の話(2)

 私が大工の見習に入った当時には、兄弟子の他に 二人の職人が親方の仕事を手伝っていました。親方 は私に向って「こちらの職人の道具箱を見てみろ」 と言うので、道具箱の中をそっと覗いてみると、(かんな) や墨壷が光って見えました。もう一人の職人の道具 箱の中には黒い手垢の付いた鉋がありました。
親方は良く私に「道具の手入の良い職人は仕事も 早く上手だが、手入の悪い職人は仕事も遅く下手 だ。大工の道具はすべてが自分の体の一部だ。一旦 自分の道具を握り締めると刃先まで自分の血が通っ ているのだ。自分の道具の手入を怠るな、道具の手 入が良ければ大工仕事も早く上達する」と毎日のよ うに聞かされました。親方の言った言葉を深く肝に 銘じて、大工道具の手入を今迄すこしも怠らなかっ たのですが、残念なことに私は大工仕事が上手にな れませんでした。


農家の小屋組

 その当時の職人の道具箱の中には、大きな釿と小 さな釿の二丁がありました。大きくて重い釿は住宅 の小屋組に使う梁や中引、客呂などの大きな松丸太 を十二角に瓜むぎする時や、墨掛が終わった梁や中引 の渡り(あご)の加工や大きなはつりの時に威力を発揮し ました。もう一丁の軽くて小ざな釿は、大きなはつ りには使わず、主に「木作り」と言って材の狂いの 修正用として使われていました。槐の木で作った釿 の柄は、どちらの釿の櫃口にも合うように仕込まれ ていて、釿の銘は瓢箪(ひょうたん)の印の中央に「丈」の文字が打 ち込まれていて、親方や職人たちはその釿を瓢箪丈 と呼んでいました。私もすこし釿打ちができるよう になって知ったのですが讃岐の大工がなぜこの釿を 好んで使ったのかには、一つの理由があったので す。釿の櫃口がきっちりとした正四角形で、刃先と 櫃口に(ねじ)れがほとんどなく、昔から大工仲間が嫌っ た「櫃ふれ」がないのが好まれた理由だったので す。
 昔、農家が母屋を普請するとなると、親戚はもち ろんのこと隣近所の人々が手伝い合うという約束ご とのような決りが私の土地にはありました。古家の 解体から基礎工事、建前、瓦葺き、小舞かき、荒壁 つけなど、すべての工事を人々が手伝い合い助け 合って仕事を進めて行きました。木材の購入は棟梁 の指示に従って、一年前から松材を製材して、桁、 母屋、胴差、二階差、入口差を木取り、納屋や倉庫 を借りて、風通しが良いよう輪木をきって高く積み 上げ乾燥させて、松材の狂いを生じさせます。施主 は秋の収獲が終ると大安吉日に棟梁を始め一同が「釿始 め」の儀式を行います。その最初に取りかかる仕事 が乾燥させて狂いの生じた松材の長物類の「木作 り」なのです。この時使う釿が軽くて小さな釿で す。木作りは二人が一組となって行います。しかし 釿打ちの下手な大工は組むのをいやがられ、相手に してもらえないので、誰もが一生懸命になって釿打 ちの技術を身に付ける努力をしていました。


松の上具材

 大工は頭にねじり鉢巻をして身を引締め、狂いの 生じている松材の木作りを始めるのです。軽くて小 さな釿を使って狂っている面を片方が「コン」と打 てば、反対側の相手も狂っている面を「カン」と打 ち返し、双方が調子を合せて「コンカン、コンカ ン」と木作りの仕事を進め、どちらかが節などの面 に行き当り、はつりのリズムが乱れると相手側は 「空打ち」といって木をはつらず釿の柄の頭の部分 で軽く木をたたき、リズムを合わせながら調子をと り合っていました。
 この木作りの釿打ちの音色は遠くから聞いていて も大変に快適なリズムです。親方は「ここで新築工 事が始まったよ」と村人たちに通報する触れ太鼓の ようなものだからと言って職人連中に釿のいいリズ ムの音色を出すよう注意をうながしていました。そ の快適な音色に釣られてか、一人の爺さんが親方の ところに来て「私のところも明年あたり母屋を建てか えようと思うが」と相談をもちかけていました。
 家で一番大切な大黒柱や恵比須柱(えびすばしら)(向大黒)の木 作りには釿は使わず、弟子の私が丸鉋を使って木作 りをしていました。(むしろ)を敷き、輪木の上に大黒柱を 寝かせ、(ひざ)を立て丸鉋を使って追い目にそって斜け ずりで大黒柱や向大黒の狂いを直していました。欅 材や櫻材が多く、堅くて、大きな二本の柱の加工が 終る頃にはズボンの(すね)の所に大きな穴ができていま した。大黒柱の仕上り寸法は八寸八分というのが多 く、末広がりという意味が含まれているのです。


床柱のナグリ目

 茶室の床柱などには杉の磨き丸太に釿を使って 「ナグリ目」を入れることがありました。このナグ リ目を入れるのは親方本人が釿を研ぎすまして慎重 に行っていました。釿の刃跡がきれいに揃っていて 見事なものでした。その時使った釿は、三つの点が 刻印された通称「ツンボ釿」でした。
 親方の説明によると、ナグリには三つの方法があ り「山ナグリ」「化粧ナグリ」「突ノミナグリ」と 呼び、山ナグリは栗の木や()の木を与岐を使って六 角形に加工したものを栗六角山ナグリと呼びます。 化粧ナグリは丸釿を使って六角形に亀甲(きっこう)ばつりにし たもので、栗六角化粧ナグリと呼びます。また特殊 な突ノミを使ってナグリ面を作り出しているのを突 ノミナグリと呼ぶのだそうですが、ナグリ面が整い すぎているので、見た目は美しいのですが、与岐や 釿のナグリの方が味があると言われているようで す。これらの技は茶室の床柱、落掛、手摺、門柱な どに使用されています。材質は主に栗の木を使用す るのですが、丹波栗が最高で美しく、木曽や九州な どのサワ栗などもありますが二番手のようです。


金蔵山古墳出土の
袋状鉄斧
倉敷考古集古館蔵

 我が国の各地から縄文時代の石斧が数多く出土している。 古墳時代になると鉄斧が出土している。 縄文人は鋭利な石材を加工研磨し、粘りのある木の柄に装着して石斧を作りま した。その石斧を使って木材の伐採や加工を行いま した。そして家屋の建築や船など、また農耕の道具 作りにも役立ち、石斧は万能の道具であったので しょう。弥生時代には鉄の出現により、鉄斧を始 め、数多くの鉄器が作られ、高床式の住いや倉庫な どの建造物を作り上げるのに大いに役立ったことで しょう。


金蔵山出土の鉄斧

倉敷考古集古館蔵

金蔵山古墳出土の鋸(複製)
倉敷考古集古館蔵

金蔵山古墳出土の合子
倉敷考古集古館蔵

岡山県上道郡幡多村の金蔵山古墳からは、古 墳時代前期のものといわれる合子(ごうす)が中央石室の副 室から出土し、中には数多くの鉄器類が納められて いました。それらの鉄器はすべてが木工具でした。 釿、鑿、ヤリカンナ、斧、鋸、刀子、錐と豊富で、 見学する人の目を驚かせています。そこから出土し た木工具は現在、倉敷市の考古集古館に展示されて います。これらは現在の大工道具の粗型であろうと 思われます。出土した釿は、松山市の自鷹幸伯さん が鍛えた古代釿と同型で柄を装着する穴の部分が丸 くなっているのが特長です。


マーシャル諸島
クジラの骨製の釿
国立民族学博物館蔵

 世界の各地には形や姿は違っていても、釿と名の 付く木工具が数多くあります。大阪府吹田市国立民 俗学博物館には、ミクロネシアのマーシャル諸島で 使われていたクジラの骨で作った釿があります。柄 は木製で、木の枝のところを利用しています。


ポナペ島の手斧型貝斧
国立民族学博物館蔵

またミクロネシアのポナペ島で使われた手斧型貝斧があ ります。刃がアコヤ貝で作られ、同じく柄は木の枝 が利用されています。ポリネシアのニュージーラン ドで使われた手斧型石斧は鋭利な石を加工研磨し、 木の枝に石斧を(かずら)で頑丈に固定しています。


ヒスイの儀式用石斧
国立民族学博物館蔵

同じくニュージーランドでマオリ族の首長階級のみが使用 したという儀式用手斧型石斧は斧身に緑色のヒスイ が使われ、羽かざりがあります。また台湾省立博物 館には、玉斧(ぎょくふ)と呼ばれる手斧が展示されていまし た。この玉斧も昔、何かの儀式用具として使われた のでしょうが、何の説明もありませんでした。


中国の釿
前場資料館蔵

何といっても面白かったのは中国製の重くて柄の長い釿 でした。山西省の洛陽市の東の郊外にある白馬寺 で、中国の大工が使っていた釿を使わせてもらいま した。中国の大工が「この男は釿を使ったことがあ るのだろう」と話しかけられたので、「この男は大 工の棟梁だ」と通訳が紹介してくれましたが、棟梁 という意味が通じなかったようでした。その釿は重 くて日本の大工には不向きでした。
 


日本の石斧
竹中大工道具館蔵