大工道具に生きる

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  大工棟梁 香川量平
(ちょうな)の話(5)

全鉄製の古代釿
竹中大工道具館蔵

 数ある大工道具の中で「指金」「墨壺」「釿」を昔の大工は三種の神器とか大工の三宝などと言って崇めていました。釿は古い昔に大陸から伝えられたもので、古墳時代すでに我が国で作られていたのか、刃と柄が一体化した全鉄製の古代釿が古墳から出土しています。 これらの釿は実用品ではなく、何らかの儀器として使われたものと思われます。その当時、木製の柄が付けられた古代釿が使われていたというのは、出土した木製の遺物に釿の刃痕が数多く残されているからです。釿はその当時から現代までの長きに亘り使われてきたので「釿は生きている化石」であると呼ばれています。


弥生時代出土の
タテ斧 ヨコ斧(複製)
竹中大工道具館蔵

 釿は柄がへの字に曲がった不格好な道具ですが、これ程大きな力を持つ大工道具は他にありません。昔、農家が八尾建の母屋を建てるとなると、家の小屋組のすべての上具材に大きな松の丸太材を使いました。大工は釿を使って、曲がった大きな松丸太を十二角に瓜むぎをして、親方の墨掛が終ると、墨掛の通り正確に釿を使って刻んでいきました。大きな力を持つ釿と職人の技術によって、粘くて堅い松の上具材も墨掛の通り、見事に仕上っていきました。そのような仕事のできる釿は大工にとって不可欠の道具でしたので、大工の三宝などと言って大切に使っておりました。しかし大工が宝の一つとしていた釿ですが、残念ながら釿には今も不明瞭な点が多々あります。なぜ「手斧」と書いて「チョウナ」と呼ぶのか。また「手斧」と「釿」の二つの文字を持っていますが、どちらが正しい文字なのか。
 「手斧」と書いて今も「チョウナ」と呼んでいますが文字の通りに読むのであれば「テオノ」と誰もが読みます。そして小さな薪割と思います。「シュキン」と読んだ人もいました。岩波新書「大工道具の歴史」村松貞治郎先生著のチョウナの項に「チョウナは斧の一種であり、この道具の歴史は大変に古く、石製のチョウナが出土している」と述べています。
 昔の縄文時代には石斧が万能の道具でした。石斧には縦斧と横斧がありましたが、横斧が現在のチョウナの祖であります。


南都大仏殿御縁起より

 平安時代の前期、我が国で最初の漢和辞書である「倭名類聚鈔」を源順という学者が書き表わしました。内容はすべて漢字で書かれていますが、下巻の工匠具第九十七の項に「釿」と書いて「テオノ」と片仮名が付けられ、和名「手乎乃」の和訓を与えています。「斧ばつりの後にこれをもって平滅するもの也」と書かれています。斧ばつりした粗い木の面を釿でもって平坦にならす道具であるという意味です。また江戸時代の中期に書かれた「和漢三才図会」にも釿のことが同じ内容で書かれています。「道具と日本人」の著書にも『奈良時代より以降の古文書や造営記録などにみえる常用語としては「釿」という字は稀にしか見られず、多くは「手斧」または「手・(金偏に斧)」の字が用いられて「テオノ」または「テウノ」の和訓が与えられている』と説明しています。


中国の釿
前場資料館

 「チョウナ」とどうして呼ばれるようになったかには諸説があります。使い手が手を高く振り上げ、降り下ろす刃物であるから「てふるば」がチョウナになったとか。中国製のチョウナの形が丁の字に似ているからとか、昔中国で「チョク」と呼んでいたからなどです。松山の鍛治師、白鷹幸伯さんは昔「テオノ」と呼んでいた言葉が、いつの間にか「チョウナ」という呼び方に変化していったのだろうと言っていますが、それが本当のようです。
 「和漢三才図会」の釿の絵図の横に片仮名で「キン」と書かれているが、その意味は何かと聞いた人がいます。昔、「キン」と呼んでいたのは「オノ」「マサカリ」のことで、それらの道具のことを「斧斤」と呼んでいました。また釿刃には木製の柄を差し込む「ヒツ」と呼ばれる「すげ口」が上部にありますが、この「ヒツ」という文字に「・(恐の心が金)」とか「・(木偏に必)」の文字が使われていますが、現在の字典には見当りませんので「物を納める箱」という意味をもつ「櫃」の文字を私は使っています。大工道具の歴史の釿の項に、チョウナの柄のすげ口(昔のやかましい言い方によれば「・(恐の心が金)」きょう、きゅう、すなわち「ソケット」のことである)と説明しています。


和漢船用集より

「和漢船用集」や「和漢三才図会」にも「・(恐の心が金)」と書き「ヒツ」と呼ばせています。また昔にはヒツのことを「柄袋」とも呼んでいました。
 「倭名類聚鈔」の斧の項に「・(木偏に必)」の文字に片仮名で「オノノエ」と付して和名「乎乃之江」一伝布流と記しています。著者の源順は「・(木偏に必)」とは斧の柄であると説明しています。「布流」については、故 吉川金治氏は、振り上げて使うものと解説していますが、納得できません。昔、斧や釿のことを「・(木偏に必)」と呼んでいたのですが、いつの頃からか木製の柄を差し込む「すげ口」に・(木偏に必)という文字が使われるようになったのだろうと故 吉川金治氏も白鷹幸伯さんも説明しておられます。
 釿刃も長年の使用と研磨によって鍛造されていた鋼が磨滅して使えなくなると鍛冶屋に依頼して「さい掛け」を行います。新しい鋼を鍛接して釿刃を再生させるのです。農家の農道具も刃先が農作業によって磨滅して使えなくなると「さい掛け」を行います。越後などでは「先掛け」とか「焼付け」などと呼びますが、「歳掛け」「才掛け」とも呼びます。いい鋼で「さい掛け」した釿刃は新品の七割ほどの値になると白鷹さんは言っています。
 江戸時代の初期に黒川道祐という学者が「雍州府志」という書物を書き表しました。内容は漢文で書かれています。「手斧、工匠之を用いる、径五寸余りの刃に曲木二尺余りを以て柄となす。脚で材木を踏まえ、両手を以て手斧を持ち、大いに木を削る。是を手斧と謂い、又釿と称す。大和大路の稲荷辺の鍛冶屋が之を造る」と書いています。この黒川道祐は、一説によると実地踏査をしてこないと書物は書き表さないという実証主義の学者であったと伝えられています。雍州とは京都の異名でもあります。竹中大工道具館研究紀要の第十二号に沖本弘氏の論文によると「雍州府志」に登場する大和大路の鍛冶というのは、東大寺再建の釿始めに用いられた儀式用の釿に「文殊四郎」という銘が刻まれているので、昔から打刃物の鍛冶技能集団が奈良にいたのではないかと説明しています。


コーモリ型釿
竹中大工道具館蔵

 昔から釿を使う職人は、宮大工、数寄屋大工、家大工、船大工、車大工などで木臼や木鉢、太鼓の胴などのはつりに使う釿は「うす堀りちょうな」とか「手じょんな」と呼ばれる片手使いの小さな釿ですが、船の櫓を作る釿に櫓屋釿(ろうやちょうな)がありますが、最初この名称を聞いた時、牢屋(昔、囚人を収容するところ)で仕事をする「青屋大工」が使う釿かと思いました。「青屋大工」というのは昔、牢屋の建築や、張り付け台、獄門 などの用具を作っていた大工のことです。
 倉敷市の砥石の先生であった長原先生が生前、私が研き上げていた釿刃を見て「見事に研いでいるが、どのような方法で研いだのか」と聞かれたので、「釿刃を固定しておき、木っ端砥石を釿刃の上にのせて、砥石を動かして研ぐと意外にうまく研げるのです」「その研ぎはいい方法だ」と言って実際に研いでおられました。鉋を研ぐように釿刃を動かして研ぐと、いい砥石の面がひどく痛むので、先の方法が良いと思います。特に亀甲ばつり用の蛤釿などは、この砥石を動かして研ぐ方法、別名「支那研ぎ」と呼ばれ、釿刃を砥石の上で廻しながら後に引いて研ぐ方法があります。


伸びた柄を曲げる

 昔、鉞や斧、釿の柄のことを・(木偏に属)とも呼んでいましたが、釿の柄は現在ほとんどが槐の木が使われています。への字に曲げるのは人工的にやっているので、柄が伸びて釿使いの折り、木に立ち込み使えなくなることがあります。そのような柄の状態を大工は昔から「ノカ」と呼んでおります。また柄の曲がり過ぎのことを「カギ」とも呼びますが、この状態も使いものになりません。一番いい調子の釿仕立ては昔から言われている「四分こごみ」の状態です。
 釿の柄が伸びて「ノカ」になり、使いものにならなくなったら、修復する方法が昔から大工の間に言い伝えられています。写真のように、釿刃をロープで固定し、柄の先端よりロープで引き付けます。「トーチランプ」ですこし遠めに柄を暖めます。そして柄の下端に石鹸を十分に塗り、ローソクを点して柄の下端より時間をかけ、ローソクの火を移動しながら柄を焦がさないように暖めます。柄が暖まり柔らかくなったら、柄の先端からのロープを軽く引き付けます。定規を当て、四分こごみの状態でロープを縛り一晩おきます。柄の下端は石鹸によって痛んでおりません。柄が「カギ」であれば一時間程冷水に浸すと柄は伸びます。
 釿使いは昔の諺の通り、「習うより慣れよ」で長い修練が必要なのです。「油断は禁物」釿使いは決して心をゆるしてはなりません。