大工道具に生きる

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  大工棟梁 香川量平
(のこぎり)の話(3)

著者所有の鑼(かがり)

  昭和18年頃といえば、第二次世界大戦の真只中で鋼が不足して、どこの金物店にも鋸がなく、人々は困っていた。今のように便利なガスや炊飯器などがなく、竃でご飯を炊くのも、風呂を沸かすのも、古材を挽いて薪を作り、それを燃やしていた。その頃、ある鋸屋が製材所で昔使っていた帯鋸の銹びたもので「雁頭鋸」を作り、売り出した。しかし鋸身に「定平」がないので、挽くたび「パタパタ」と音をたてるので、父はその鋸を「蝿たたき鋸」と名付けて呼んでいた、懐しい思い出がある。今も農家の古い納屋など解体していると、その片隅で蝿たたき鋸と出合うことがある。大工が使う尺一寸の両刃鋸の中にも、定平がなく腰が弱くて挽くたび「パタパタ」と音をたてる鋸があり、「蝿たたき鋸」とか「するめ鋸」と呼び、安物買いと言って、その大工を馬鹿にした。

 大工は一代の間に生活費を割いて何十枚という鋸を購入するが、年老いて自分の手元に残る鋸はほんの僅かである。

 手元に残った八寸の両刃鋸があった。親方が三十数年使い、私に譲り渡してくれて三十数年、二代にわたって使ったものである。目立てを繰り返したため、身は痩せ細り鋸巾は一寸(約三センチ)程となっていた。譲り受けるとき親方は、「この鋸は『玉八』だから大切に使え。」と言った。「玉八」というのは、砂鉄から「たたら製法」によって作られる「玉鋼」のことである。昔の古い刃物には玉鋼で鍛えられたものが今も数は少ないが残っている。この二代にわたって使われた「玉八」の八寸鋸は折れず、曲がらず、鑢(やすり)に甘く、木をよく切らす、見事な鋸であった。多くの大工が見た中で、一人の大工が「鋸も良いが、使い手も良かったのさ」と私を誉めてくれた。名工が鍛えた鋸も、玉八の鋸も、使い手が悪ければ長年の使用に耐えることはできない。大工はすべての道具を手入れし、大切に長年使わねばならない。また大工道具は身体の一部であり、手の延長したものであることを忘れてはならない。  


近藤 義明氏が鍛えた尺鋸

   長年にわたって私と苦楽を共にした八寸鋸は仕事を止めさせて、鋸の権威者である東京農大の星野欣也先生に譲り渡すことにし、その夜は讃岐の地酒で思い出を回想しながら飲み明かした。「先生のところに行っても、さすが香川棟梁が使い込んだものだけあると誉められるものになるのだぞ」と言い聞かせ、我が娘を嫁がせる思いで、東京に旅立たせたのであった。  私の手元にもう一枚の両刃の尺鋸がある。兵庫県三木市の「近藤義若」の商標を持つ鋸鍛冶「近藤義明」氏が二十六歳のとき、安来の白紙で初めて鍛えた第一号の鋸である。鋸鍛冶の家に育った近藤氏は初代の「近藤力松」氏を師に長い年月修業に励んだ。泣いた日が何十回とあったと昔を回想する。今は三代目の長男久登君が新しい鋸を考察して売り出している。  私が大工の見習いでいた頃、古老の大工から聞いた鋸にまつわる昔話がある。幕末の頃、会津(福島県)に中屋助左衛門という名工の鋸鍛冶がいた。その頃江戸の町で土蔵破りが横行した。蔵の鉄格子や錠前が何の苦もなく挽き切られていた。奉行所の調べで、このような鋸を鍛えられるのは、会津の中屋助左衛門か、仙台の大久保権平であると突き止め、奉行所は二人の鋸鍛冶に、当分の間鋸を鍛えてはならないというお咎めを出したという昔話を聞いたことがある。  

 「道具屋」という面白い落語に古鋸の話が登場する。昔江戸の下町に、与太という、訳もわからず二束三文の古道具を売っている男がいた。その日は火事場で拾ってきた赤く銹びた鋸を三挺売り出していた。そこを通りかかったのが目利きの大工の棟梁。鋸を手にするなり、棟梁「こいつはアマイなあ。」与太「甘くないよ、なめてみな。」棟梁「なめて甘いんじゃあねえよ。良く焼けてねえと言っているんだ。」すると与太「良く焼けているはずだよ、昨日焼け跡で拾ってきたんだから。」昔の面白い古鋸にまつわる落語である。大工が使う鋸は、焼入れがあま過ぎると切れず、硬すぎると目立てが厄介で使いものにならない。

  大工仕事で一番きつい仕事といえば昔から「一錐、二鋸、三釿」という大工言葉がある。錐もみの仕事もたいへんであるが、何といってもきついのは鋸挽きの仕事だあろう。そのため大工は名工が鍛えた鋸を誰もが手に入れようとするが、高値のため手にすることは容易ではなかった。私の親方は刑務所で服役する鍛冶工が鍛えた「無銘」の鋸を安価で良く切らすのだと言って、買い求めていた。無銘の雁頭鋸が痩せ細って私の手元にある。多分そのような鋸であろう。讃岐の大工は硬い鋸を「はしかい鋸」と呼び、あまい鋸を「なまくら鋸」と呼ぶ。

  私が大工の見習に入ってすぐのことであった。親方が「そこの『やりとり』を取れ」と言ったが、その名前の道具が理解できず思案していると、「のこぎり」だと怒鳴られた思い出がある。「やりとり」というのは「台切鋸」のことで、二人挽の大型横挽鋸のことである。別名「夫婦鋸(みょうとのこ)」とも呼ばれる。鋸に喩えた言葉に「鋸あきない」とか「鋸屋根」などがあるが、大工が使う鋸には数多くの種類がある。


ミュージアム氏家(栃木県塩谷郡氏家町)の資料より  

    神戸の竹中大工道具館の各種鋸の解説書によると、(1)穴挽鋸(あなひきのこ)片刃、横挽、尺三寸から尺六寸が普通。「鼻丸鋸」ともいう。丸太の端を切り落としたりする荒仕事に使う。歯が「イバラ目」のため部材を斜めに挽くときにも使う。(2)挽割鋸(ひきわりのこ)片刃、縦挽、尺三寸から尺六寸が普通。挽割には、木挽用挽割、大工用挽割、舟手挽割の三種がある。それぞれ形が異なる「ブッキリ」ともいう。材の大割用に使う。(3)舟手挽割鋸(ふなてひきわりのこ)片刃、縦挽、尺二寸から尺四寸が普通。「鯛型」「舟手鯛型」「舟手」などとも呼ばれる。もともと舟大工が舟板の接合面の擦り合わせなどに使う鋸だが、大工道具でも挽割鋸の代わりに使うようになった。(4)鑼(がかり)八寸から尺三寸が普通。斜めに柄を付けたものと、真っすぐに柄を付けたものとがある。前者は主に材の大割用に使い、後者は主に小割用に使う。(5)挽切り(ひっきり)片刃、横挽、八寸から尺三寸が普通。通称「キリ」とも呼ばれる。横挽に使う。 (6)両刃鋸(りょうばのこ)両刃、横挽、縦挽、八寸から尺二寸が普通。鋸身の両側に縦挽き、横挽き両種の鋸歯をつけた、縦挽・横挽兼用の鋸。明治三十年頃から全国的に普及した。(7)穴挽両刃鋸(あなひきりょうばのこ)両刃、横挽、縦挽、尺から尺三寸が普通。荒仕事に使う。横挽用は「イバラ目」で穴挽鋸と同じ機能を持つ。(8)胴付鋸(どうつきのこ)片刃、横挽、八寸から尺が普通。鋸身は薄く、背金で補強してある。歯は細かく、挽肌は平滑で精密な加工に適する。精巧な小細工の組手加工に使う。(筆者註:縦挽きの目を刻んだのもある。)(9)畔挽鋸(あぜひきのこ)両刃、片刃、横挽、縦挽、二寸から三寸五分が普通。両刃は鴨居挽と畔挽(片刃、横挽)が合体したもので明治以降普及し、現在では畔挽といえば百パーセント両刃のものをさす。部材の途中から挽き込むことができるため、部材の中間に溝(小穴)を加工するときなどに使う。(10)鴨居挽鋸(かもいひきのこ)片刃、縦挽、四寸から五寸が普通。両刃畔挽の出現で激減した。鴨居の溝の加工や、柱の背割などに使う大型(六寸から七寸)のものは「心挽」あるいは「胴割」ともいわれる。(11)挽廻し鋸(ひきまわしのこ)片刃、横挽、六寸から尺が普通。廻し挽の一種。板材に曲線を持った貫通部を加工するのに使う。引いて使う。(12)突廻し鋸(つきまわしのこ)片刃、横挽、六寸から八寸が普通。廻し挽の一種。挽廻し鋸と同じ機能を持つ。押して使う。(13)欄間挽鋸(らんまひきのこ)片刃、横挽、三寸から五寸が普通。挽廻しの極小型で歯も細かい。精密な加工に使う。(14)底廻し鋸(そこまわしのこ)片刃、横挽、六寸から九寸が普通。桶屋用の廻し挽鋸で先端が櫛型になっている。小鋸として便利なため、一般用としても使われる。(15)押え挽鋸(おさえひきのこ)片刃、横挽、五寸から六寸が普通。歯は細く、鋸身も薄い。鉋台の押え溝の両側を挽くのに使う。  

  杣道具・鋸(1)手曲り鋸(てまがりのこ)片刃、横挽、伐木用の鋸。土佐型と天王寺型とがあり、普通単に手曲り鋸というときは、土佐型をさす。土佐型は尺二寸から二尺八寸、天王寺型は尺五寸から二尺五寸が普通。天王寺型は天王寺型は土佐型より巾広のものをいう。土佐型の頭が角になったものを祇園型ということもある。
 (2)手曲り鋸改良刃(てまがりのこかいりょうば)片刃、横挽、尺五寸から二尺五寸が普通。目型を改良して「オガ屑」を鋸の動きに従って引き出しやすくした鋸。(3)腰鋸(こしのこ)片刃、横挽、尺から尺六寸が普通。土佐手曲り鋸の小型。細巾のものをいう。枝伐りや炭挽に使う。(4)雁頭鋸(がんどうのこ)片刃、横挽、尺五寸から二尺が普通。頭の形で「丸雁頭」と「角雁頭」とに分けられる。普通単に雁頭鋸というときは丸雁頭をさす。伐木用の鋸。(5)台切り(だいぎり)三尺五寸から五尺五寸が普通。原木を一定の長さの横挽に使う。二人が向き合って引き合うようにして使う。(6)前挽鋸(まえびきのこ)片刃、縦挽、刃渡り尺八寸から二尺、鋸巾尺四寸から尺八寸が普通。古い時代のものほど角型で巾が狭く、時代が降るにつれて背が丸く、巾が広くなる。材木を縦に挽いて板材や角材を作るときに使う。

 以上、竹中大工道具館収蔵品目録第一号鋸篇(1989年6月)9・10頁に所載の各種鋸の解説による。