大工道具に生きる

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  大工棟梁 香川量平
(のみ)の話(3)



 昔から「油断大敵」とか「油断は怪我のもと」という古い諺がある。特に職人は油断すると諺通り怪我をしたり、作品が失敗することが多い。「千慮の一失(せんりょのいっしつ)」という中国の諺がある。賢者でも考えの中には一つや二つの間違いや失敗があるという意味である。しかし職人は昔から失敗することは凶であると考え、「お釈迦になった」という隠語を使ってきた。この言葉は関東の鍛冶職人が言い出したという説があるので、東京の石堂鉋製作所の石堂秀雄さんに聞いてみた。その言葉も使うが、失敗したことは「ズコ」と呼ぶのだと、父輝秀さんに教えられていると聞いた。また京都の仏師が言い出したという説もある。昔、仏師の見習いが、お盆休みを利用して小さな観音像を彫り上げた。それを親方が手にして、「これはお釈迦だ」と言ったのが世間に広まったという説もある。もう一説では、昔、鋳物師(いもじ)が青銅の観音像を作ろうとしたが、鋳型造りの、少しの間違いから吹き上がったものが、お釈迦様になっていたので、鋳物師たちが失敗したことを「お釈迦になった」と呼んだのが、世の中に広まったという説。また、その日が四月八日でお釈迦様のお誕生日でもあった。四と八という数の語呂合わせが失敗という言葉に相通ずるところから。この隠語が生まれ、今も職人以外の人々にも使われているという。

 さて、鑿という道具は木工職人以外に石工(いしく)職人が石材の加工に数多くの鑿を使う。姿や形は違っているが、文字も呼び名も木工用鑿と変わらない。昔の石工職人は早朝から炉に火をおこし、その日に使用する鑿の焼き入れを行なって仕事場に向かったという。石材を小割する鉄製のクサビを石工は「ヤ」と呼ぶ。ヤ穴を掘る鑿には「一番鑿」「二番鑿」「三番鑿」があるそうだが、大工が使う鉋の順番によく似ている。鉋は「アラシコ」「チュウシコ」「ジョウシコ」と呼ぶ。また石工が餅臼などを仕上げるときに使う一尺(約30.3p)程の鑿を「ヒラノミ」と四国の石工は呼ぶ。刃先が菱形に鍛えられていて、鋭い角の部分で硬い花崗岩を見事に削り取ることができる。

 昔、関西に丹波佐吉という石工の名人がいた。彼が「西行」の旅の途中、難波(大阪)の石材店で働いていたときのことである。職人たちが腕比べをやろうと言い出し、石の七福神を刻んで勝負しようとしたが、選者に贔屓(ひいき)者がいて、佐吉は二番手となり、不服の佐吉は石の尺八を刻んで勝負することを提案した。話は決まり、石工たちの細工は誰にも見せず、持ち前の技術を結集して尺八づくりに挑戦したが、誰も音の出るものを作り上げることはできず、佐吉のみが見事に音の出る尺八を作り上げた。その音色は実に見事で、人々を驚嘆させたという。その噂が宮中に聞こえ、第121代の孝明天皇に献上され、日本一の石工であると天皇よりお誉めのお言葉をいただいたという逸話が、今も石工の間に語り継がれている。しかし佐吉がどのような鉄鑿を使って彫り上げたのかは今もわからない。また鉄製の石割道具や鉄鑿が世界の七不思議とされるエジプトのピラミッドやインカの石積工事にはなかったという説だが、どうも私には納得できない。

 石工は「石頭(せっとう)」と鉄鑿を使って石に穴を穿ち、大工は「玄能」と鑿を使って木に穴を穿つのであるが、どちらも物を組み立てるという意味がある。また鑿は、古い昔から「石鑿」「銅鑿」を経て、「鉄鑿」となり、人間の住まいづくりや物づくりに大変に役立ってきた道具である。最近は電動工具の普及で手を使って穴を穿つということが少なくなってきた。私が大工の見習いでいた頃は、すべてが手仕事で、大きな松の丸太の上具材に穴を穿つのは大変な重労働であった。撞木錐(しゅもくぎり)と呼ぶボールト錐で荒穴を穿ち、叩きの八分鑿を力任せに玄能で叩き、その上きつく捏ねるので、込みの元からポキリと折れることがあった。また、鑿がすべって自分の太股をプッスリと突くことが度々あったが、誰にも言えず、血の出るまま手当てもせずに穴を穿ち続け、夕方まで辛抱した。また、折れた鑿は鑢を使って新しい込を作りだし、穂首が短くなったので、柄を長く作ってすげ、再利用した。昔から叩き鑿の寸法というのは、一尺(約30.3p)前後である。造作用に使う「追入鑿」は七寸五分(約23p)前後が使いやすく、鑿廻しが楽であると昔から言われている。



 和漢三才図会に「佐須鑿(さすのみ)」は柄の長さが尺近くあり、と説明しているのは、現在大工が使っている「突鑿」のことで、「大突」とも呼んでいる。柄にはほとんど「冠(下り輪)」はついていない。種類には「本突鑿」「薄鑿」「鏝鑿(こてのみ)」「鎬鑿(しのぎのみ)」などがある。昔、四国の大工は「突鑿持たぬは大工の恥」などと言って、持たぬ大工を馬鹿にしたので、誰もが八分(2.4p)と一寸六分(4.8p)を一組として持ち合わせていた。

 昔、四国で新築する家は、入母屋造りの八尾建(やつおだて)で、玄関の見付には必ず大きな欅の大黒柱と小大黒柱(向い大黒とも恵比須柱ともいう)が使われる。大黒柱には松の長物が四方差となるので、ほぞ穴さらえには突鑿が不可欠となる。長い柄には重い紫檀や黒檀が使われているのは、欅のほぞ穴さらえのとき、柄の重さによって突き下ろすそのとき、突鑿の威力が発揮されるからである。また重くて長い柄の突鑿は大変に研ぎづらいので、最近は穂首と柄が棯子(ねじ)の組み合わせになっていて、取り外して楽に研げるものがある。私が見習い当時、突鑿の研ぎには、長い柄を紐で右腕に縛り付けて研ぎの稽古をさせられたものである。また親方は切れ刃の地金の部分を「トンボせん」で軽く削りおとし、見事に研ぎ上げていた。数ある突鑿にはすべて鞘仕込とし、刃先を痛めないよう保護し、誰もが大事に扱った。

 鏝鑿は左官が使う鏝の形に似ているところから、その名があるのだが、昔、左官が土を受ける鏝板がよく反り上がるので蟻桟を入れようと考え、大工から小さな底ざらえ鑿を借りて作り上げた。左官が鑿を返すとき、鏝のように首を曲げたら使い良いだろうと言ったことにヒントを得て作り出されたので、鏝鑿という名がついたという。穂巾は一分(0.3p)から一寸九分(5.7p)まである。

 鎬鑿(埋木鑿ともいう)というのは、甲と呼ぶ穂の表が三角の山形で峰とも呼ぶが、耳の部分が薄く鋭角となっているので、大工が新築する構造材の「蟻おとし」の三角の部分を突きおろすとき、この鑿が必要となる。穂巾は五種類ほどあるが、主に八分(2.4p)を持つ大工が多い。また造作用の追入鑿にも鎬鑿があるが、耳の部分が薄いので大節には要注意である。


 特殊鑿には名も知らぬ変わり鑿が数多くある。特に「木彫鑿」とも「彫刻鑿」とも呼ぶものには約五百種類以上あるのではないかと言われている。「木工用バイト鑿」というのがある。木工用旋盤(ろくろともいう)に使われる鑿は、昔、木地師(きじし)が自作していたのだが、最近は高温に強いハイス鋼で作られたバイト鑿が使われている。「平バイト鑿」「丸バイト鑿」「双刃バイト鑿」などがある。

 「氷鑿」というのがある。氷の彫刻に使う鑿で「平鑿」「三角鑿」「サジ鑿」などがある。作りは突鑿形で冠はなく「北海道鑿」とも呼ぶ。「木型屋鑿」とは鋳物師の型枠を作る職人が使う鑿で「鏝丸鑿」や「平鏝鑿」など見知らぬ変わり鑿が多くある。

 「下駄屋鑿」の中に「十能鑿」と呼ぶ変わり鑿がある。昔、柄の付いた「ひかき」と呼ぶ十能があったが、この台所用具に似ているところから、この呼び名がある。この鑿は、京都の舞妓さんが履いている「ポックリ(コッポリ)」と呼ぶ桐下駄の裏底の側面や桐の男下駄の歯の側面を突く鑿で、先端にある角(つの)は刃が側面にたち込まない役目を果たしている。最近ほとんど見かけることがなく消え去ろうとする鑿である。

 鑿には硬口と甘口とがあり、大工が使う叩き鑿などは甘口が良いとされている。硬口はよく切らすのだが、節などに行き当たると刃毀れが生じやすいので大工は好まない。

 鑿の側面を耳と呼び、カスガイ状に鋼を巻き上げ鍛えているのが鑿の大切なところである。四国の大工は、この鋼のつくりを「カスガイ」と呼んでいる。また、叩きの平鑿などに裏切れが生じると、鉋の裏出し同様に叩き出している大工がいるが、鑿の性質を知らぬ者のすることで、叩き割る例が多い。鑿の裏透きには二枚透き、三枚透きなどがあるが、鑿鍛冶がデザイン的に考案したものである。越後(新潟県)の碓氷金三郎氏が鑿裏に鉾の形を彫り出している見事な鑿がある。「鉾鑿」と呼ぶ、実用品ではなく鑑賞用として鍛えたものであろう。また、首廻しとも、じく廻しとも呼ぶ鑿がある。代表的な作品に三代善作のじく廻しの寸六鑿がある。見た目には美しいが、私が使っていて、廻したところからポキリと折れたことがある。しかし外国人が墨流しや、じく廻しの鑿を好んで購入するそうである。最近替刃式の鑿が市販されている。使ってみると堅い節に行き当たったとき、替刃が真っ二つに砕けてしまった。鑿の替刃式は無理のようである。

 鑿には研ぎづらい五厘鑿(1.5o)や一分鑿(3o)がある。上手に研ぐ方法に「甚五郎研ぎ」が昔からある。一寸角(3.03p)を切れ刃角に切り、中央部に鑿を通して角材と共に研ぐ方法である。また、大阪府豊中市の田中秀昭氏が鑿を研ぐ治具を図面入りで会報「削ろう会 vol.34(2005.5.16発行)18.19頁」に説明している。実にうまく考えられている。平成の甚五郎研ぎ器である。丸刃の研ぎに「支那研ぎ」という技法がある。砥石に対して直角に廻しながら研ぐ方法である。横研ぎともいう。大工は丸刃の研ぎは、廻しながら砥石に対して引き下がって研ぐ者が多くいる。最近、御殿場市の武藤千秋氏が五厘鑿から一尺の大鉋刃までが見事に研げる「万能研ぎ器」を考案し、特許出願中であるという。秋の三条市の削ろう会にはお目見えするという。今より心待ちにしている次第である。