大工道具に生きる

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  大工棟梁 香川量平
墨指(すみさし)の話

池田誠氏の
墨指
熊本県天草郡

 古い昔から大工道具の中で一番大切な物といえば「指金、墨壷、(ちょうな)」で、その三点を大工の三宝とか三種の神器と呼び、大切に取り扱ってきました。しかしその三点の中に「墨指」があります。墨指は墨壷と夫婦であると昔から言われ、一心同体であるため、大工の三宝の中に墨指が加えられたのでしょう。
 墨指は墨壷と共に、新築する家の木材に大工が墨掛を行う時の竹製の筆記用具なのです。眞竹(まだけ)箆上(へらじょう)に割り、先端を約三寸勾配に切り、細い割込を入れて、墨を銜せて線を引く。勾配に切った反対の墨と呼ばれる部分は細い棒状とし先端を砕きて墨を(くくま)せ、竹筆とし、木材に記号や文字を書き入れます。
 墨指の造りは、大工の棟梁によって形はさまざまですが、私が親方から教えられた墨指作りは次の通りであります。眞竹とも、苦竹とも呼ばれる竹の三年ものか四年ものの身の締まった節合いの真直に育ったものを使います。新潟県や秋田県の寒地に生育したものがよいといわれています。高知県の台重鉋専門店の示野護勝(しめのごしょう)さんは温泉の出る山地に育った眞竹がよいと言います。
 幹が太く、肉厚の孟宗竹(もそうちく)は一見、良さそうに見えますが墨指には適しておりません。皮面が柔らかくて摩滅が早いので、大工の間では昔から「孟宗竹で墨指を作るな」と言い伝えられています。
 古家を解体していると眞竹のいい(すす)竹が見つかることがあります。が、十本中一本しか墨指には適しておりません。いい煤竹で墨指を作ると先端部分が固く摩耗が少なくて長く使用できるものがあります。
 墨指の長さは七寸五分としますが、その理由は、親方の説明によると、指金の裏の内目に刻まれている、日本式の魯般尺の「官」という吉寸にあて()まっているからだそうです。
 巾は四分とし、先端を約三寸勾配に切り落として、四十二枚に割り込みを入れるのですが、これにも何か理由があるのだと親方は言っておりました。先端部分の割り込みの深さは八分から九分までとし、鋸刃に見られるような鬼歯を作ります。そしてその鬼歯に返しをつけます。鬼歯の後の割り込みは、薄刃の刃物で一は深く二は浅くと言った具合にし、割り込みの深すぎを防止するため、割り込みの下部を糸で固く結束する必要があります。乾燥した眞竹であれば一晩、水に浸しておくと割り込みは大変楽にすることができます。


竹中大工道具館研究紀要 第8号より
竹中大工道具館

 昔、香川県の丸亀市で団扇(うちわ)作りの職人に墨指の割り込みを入れてもらったことがありますが割り込みが深すぎて腰折となり使いものにならなかったことがありました。割り込みを入れた反対側は、墨と呼ばれ、先端部分を細くして木槌で砕き竹筆とするのですが、先端部分を砕く時、決して金槌などを使用しないことです。金槌などで砕くと竹の繊維が切れてしまい、使いものにならなくなります。
 墨指が出来上がると、大工は刃物で研ぐのと同じように勾配に切った部分を中砥で研ぎ、仕上砥石にもかけます。そして勾配の刃先をすこし丸く研ぎ上げます。また仕上がった墨指の側面に「観世音」と書き付けている大工がいます。これは家の墨掛に間違いをしないように願をかけたのかもしれません。また古い昔から墨指は「観世音菩薩」の化身であると言われているからです。
 大工は使い終わった墨指は捨てずに「はやす」と言って讃岐では燃やします。また昔からの大工言葉の中に「女に触れた手で墨指作るな」と言い伝えられています。それほど墨指は昔から神聖な大工道具であったのです。


日本の墨指
竹中大工道具館蔵

 墨指の先端を約三寸勾配に切り落とすのは一般的には右表であり、舟大工、石工職人などは左表が多く見られます。大工が右表であるのは昔から一文字の形に墨指を作れという、言い伝えによるものかもしれません。最近は家の墨掛に水性のボールペンなどを使っている職人を見かけることがありますが、松丸太などの墨掛には、竹製の墨指でなくては使用できません。市売されている墨指には真鍮製、プラスチック製などがありますが、自分の手作りのものが最高と言えるでしょう。
 墨指の歴史は古く、飛鳥時代に仏教建築と共に我が国に伝えられたものと思われます。「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)」という我が国で最初の漢和字書に墨指の事が書かれています。工匠具第百九十七の項に墨芯と書き、スミサシと片仮名が付してあります。「将魴切韻云、以蔑為筆日芯『音浸和名須美佐之』周赧王時史臣公壇造也時人以竹芯書文字今工匠墨芯是」と漢文で書かれています。意味は将魴切韻(しょうぼうせついん)が言った、篦を以て筆となし、芯といわく。音は浸、和名はすみさし、周の赧王(たんおう)の時、史臣公壇が造るなり、時の人、竹芯を以て文字を書く、今の工匠の墨芯は是なり、という意味ですが、周という中国での古代国家は紀元前ですので、墨壷も墨指も、古くから中国には存在していたことを伺い知ることができます。


和漢三才圖會

 また江戸時代の中期に書かれた「和漢三才圖會(ずえ)」の第二十四巻の百工具の項に墨壷と墨指が、絵圖入りで書かれています。絵圖は、先端を(たいら)に切ったのと勾配に切った二点が書かれ墨芯の文字に平仮名で、すみさしと書かれ、片仮名で、モツツインと書かれている意味が分かりません。漢文での説明は「倭名類聚鈔」と同じ意味のことが書かれています。
 神戸の竹中大工道具館の会館十周年の記念企画展で、中国の大工道具が数多く展示されている中に、竹製の墨指がありました。形はさまざまでしたが、我が国のものと同じであると感じました。私が中国の西安市で見た大工の墨指は竹製で、我が国のような見事なものでなく、割り込みも浅く、綫筆(シエンピー)と呼んでいました。また雲南省のシーサンパニナでは水牛の角で作った墨壷と墨指があります。墨指はしなりがあり思ったより書きやすいという印象を受けました。
 我が国の大工の棟梁は、松丸太に墨打ちをする時、良く墨指を(くわ)えていることがありますが、これは忍者が巻物を銜えているのと同じで真剣そのものなのです。曲がりくねった松丸太にうまく墨打ちが出来るか、恐怖と緊張の一瞬なのです。私も昔、松丸太の墨打ちの折に墨指を良く銜えたものです。しかし不思議に墨指を銜えると、観世音菩薩のおかげか見事に墨打ちができるのです。


中国の墨指
竹中大工道具館蔵

 昔から大工が作った墨指には御正念が入っているという話が言い伝えられていますが、呪いの墨指という恐ろしい話があります。昔、親方から聞いた話ですが、墨指の割り込みが四十二枚というのは、目に見えぬ職人の一つの武器であり、四十二枚に割り込んだ時、観世音菩薩が墨指に乗り移っているのだそうです。
 「昔、悪奉行の死後、四十九日目の朝方、菩薩の夢を見た。棟梁の墨指を借りた。別邸の大黒柱の柱根に丑寅の方位から墨指を打ち込んである。奉行も悪行を後悔し、やっと仏になれた、早く墨指を抜き取ってやれ。棟梁は別邸へと急いだ。夢のお告げ通り、自分の墨指が打ち込まれているではないか。棟梁は満身の力を込めて抜き取り、般若心経を唱えながら『呪いの墨指』を燃やしてしまった。この昔話は、棟梁と奉行との金銭のトラブルから起きた話だそうだが、奉行の腹には四十二枚の不明の傷跡が残っていた」と言う恐ろしい話だ。