大工道具に生きる / 香川 量平
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「八軒割り」(大工早割秘傳書より)100なっている。「猿さるぼめん頬面」とも「えてめん」とも呼ぶ面を取り、天井棹に使うと美しくて上品な天井に仕上る。この呼び名は棹の木口が猿の顔に似ているところからであるが、昔の大工は「火が去る」といって火伏せの呪まじないを願い、このように呼ぶようになったのだといわれている。また、昔の大工が和室天井の正確な釣上げの割出し寸法を良く知っていたのは『大工早割秘伝書』の中に書かれている「八軒割り」の技法を勉強していたのであろう。 和室の8帖と6帖の間仕切の2間鴨居は下りしろを見越して2分5厘ほど釣上る。また2間敷居の溝の深さは約8厘と昔から決められており、溝の摺り減るのを防ぐため櫻などの堅木の赤味材を溝に埋め込み、溝の深さを中央部ですこし浅くするが、これは溝の摺り減るのを見越して行うのである。最初の内は襖の立付が中央部ですこし悪いが、4年か5年の内には溝が摺り減り、襖の立付は良くなっている。この下さがりしろとか、釣りしろとか、ちびしろを大工はすべて嘘と呼ぶ。建具の入らない2間の無目鴨居などでも、かなり釣上げる必要がある。瓦が葺き上るとその重量で下ることが多々ある。鴨居だけでなく、他の箇所でも建築の部材が下って見えるのは大変に見苦しいので、施主や見る人に不快感を与えぬよう大工は細心の注意を要する。 明治時代になって洋釘の輸入が始り、昔から長く作り続けてきた和釘の製造が衰退の一途を辿って行ったが、その頃に家を建てていた人々の間で、西洋の丸釘を使われては、我が家の将来が不安だという噂が広まり、工事の契約書に在来通りの和釘を使用するよう書き付けた施主が多くいたという話が今も残っている。西洋から洋釘の導入と共に伝えられたのが西洋釘抜の「バール」と呼ばれる釘抜である。西洋ではこの道具を「クローバー(crawbar)」と呼ぶ。L字型で釘を挟み込む割込みが両方にあり、打ち込まれている釘や古釘などを抜く時に、この割込みを釘に叩き込み梃子を応用して抜くのであるが、この時バールの頭を玄能などで叩く金属音と鍛冶屋が鉄を鍛えている時の音とが良く似ているところからこの道具を「かじや」と名付けたのだという説があるが、昔、古老の大工にこの名の由来を聞いたことがある。明治の頃の大工は「バール」などと呼ぶ西洋の言葉を大変に嫌ったその頃、鍛冶屋が日本製の見事に焼入し、刻印の入った釘抜を作った。大工たちは大変に喜び、和名で「かじや」と名付けたという話を聞いた。 また、大工道具の中に片方が釘抜で、片方が平に尖った二尺程の「鉄かなてこ梃」がある。この道具を大工は隠語で「バリ」と呼ぶ。昔、建てていた家には松丸太の上具材が使われ、建前が終り、家の建て入りを起すのに大工は大変に苦労した。親方は「下げ振り」を片手に太い丸太の仮筋違を使い、建て入りを起すのである。仮筋違を突張らし、鉄梃で競り上げて行くと、バリ、バリと音を立てながら建て入りが見事に起きて行くのであるが、この時の音が、この道具に付けられているバリと呼ぶ隠語であると親方は私に言った。(削ろう会会報60号 2011.12.05発行)

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