和漢三才図会よりボールト錐(撞木錐ともギムネとも呼ぶ)打ち込み錐106「舞錐」「ハンドドリル」「自動錐」などと解説している。 昭和30年頃から電気ドリルの進出によって、長年苦労してきた錐もみの仕事は解消したが、昔、錐もみの仕事は大工泣かせであった。そのため「一錐、二鋸、三釿」などという大工言葉が生れたのであろう。大工の見習中に泣かされたのがボールド錐で「撞木錐」とも「ギムネ」とも呼ばれる手廻しの錐で、一日中使うと掌には大きな肉まめ刺だらけとなり、その上、腰痛で泣くに泣けなかった辛い見習の時代があった。 竹中大工道具館の錐解説の中にある「くり子錐」というのは昔、下駄屋が鼻緒の穴あけに使っていたもので、樫の木で作っているが、西洋のハンドル錐に良く似ていて先端の錐がいろいろと取換えられるようになっている。また「打込錐」というのは別名「ぶち錐」とも呼ばれ、先端が鋭く二つに割れていて、昔、桶屋の職人が使っていた。大工は長押の穴あけに使った。位置を決めて打ち込み穴が貫通すると鐔つばを下から叩き上げて抜き取るという錐である。竹細工の職人が使っている「トン錐」というのもある。一般の家で使われている「千枚通し」も錐で、昔の円鑽とか円錐と呼んでいたのは千枚通しのことであろう。昭和22年に正倉院の南倉から錐(鑽)が一本出展されていた。手揉み錐と表示されていたが、あの柄では手揉みすることは不可能であろう。先端部分が折れ、基部がわずかに残っている。まだ他に鑽が六本あると伝えられている。 昔、川口市に錐作りの名人がいた。新井行雄氏である。「アライの錐」と言えば有名で、特に「手志三つ目」は名が高かった。昔から大工仕事で一番きつくて、むつかしいのが錐揉みであるが、大工の見習に入った当初、「お前の錐揉みが悪いので釘が他に出た」と怒鳴られて、意地悪の兄弟子に背中を錐で突かれたことがあった。「錐揉みは押さえた人が吹いてやり」という江戸川柳がある。また「片手で錐は揉まれぬ」という諺もある。両者が力を合せなければ何事も成功なし、と言うところから、結婚式のスピーチなどで良く言われる。「錐を引いて自ら刺す」という中国の故事がある。昔。中国の蘇そしん秦(戦国時代の人)が勉学に励んでいた若い頃の話である。襲い来る睡魔と闘うべく錐を側におき、睡魔が襲い来ると、その錐をとり、自分の股を刺して勉学に励んだという中国の故事である。 錐の語源には、いろいろと説はあるが、火種を起す「火鑽り」から「キリ」という言葉が生れたと親方は言った。錐は大工道具の中で一番古参で上位のはずだが、最近あまり使われず道具箱の片隅で哀れな姿で横たわっている。(削ろう会会報62号 2012.06.11発行)
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