大工道具に生きる / 香川 量平
114/160

著者自作の魯般尺114 その47  魯般尺の話(1) 古い歴史を持つ中国には、「魯ろはんじゃく般尺」とも「風水尺」とも呼ぶ古い「ものさし」の伝説話がある。紀元前のことである、魯の国に魯ろはん般というひとりの大工がいた。器用で頭が良く、大変な親孝行もので鋤すきくわ鍬やあらゆる農道具の修理を無償で行い、困っている人を見ると一番に助けた。村で評判となり、その噂が時の皇帝に聞こえた。皇帝は魯般を呼び褒美を与え、そして「城壁の出入口に人々が驚くような楼ろうもん門を建立せよ」と命じた。魯般にとっては大変に名誉のことであったが、魯般は毎日悩んでいた。それは楼門を建立するための正確な「ものさし」が無かったからである。ある夜のこと、夢の中に北斗七星の「文もんこくせい曲星」が現れ「汝、皇帝より楼門を建立せよとの命を受けているが「ものさし」が無く困っているのであろう」と言って魯般を連れ、文もんこくせい曲星で「良き寸4つ、悪き寸4つ」という「ものさし」を教えられて帰ってきたところで目が覚め、早速教えられた「ものさし」を作り、見事な楼門を建立したという。 魯般が作ったので「魯般尺」とも、北斗七星に教えられたので「北斗尺」とも「文曲星」で習ってきたので「天てんせいじゃく星尺」とも、良き寸4つ、悪き寸4つがあるところから「吉凶尺」とも呼ぶ、門の入口の高さや巾を吉寸で決める所から「門尺」とも呼ぶ、魯般尺があり、全長が9寸6分である。 村松貞次郎氏の著書『大工道具の歴史』に「魯般尺」の話が書かれている。 古い尺・寸のサシガネの裏の長ちょうし枝の内側には一尺二寸を八等分した不思議な目盛がついているが、これは「魯般尺」または「門尺」と呼ばれるもので、昔の宿しゅくようどう曜道(一種の中国式占せんせいじゅつ星術、ちなみに魯般は古代中国の伝説上の名工)から出たものである。もちろん迷信上の寸法であり単位であって、あまり意味がない。 と書かれている。 「宿すくよう曜」とは天竺(インド)が起源の天文暦学で、宿すく曜ようきょう経を経典とし、星の運行を人の運命に結びつけて、吉凶を占う。古く中国に伝わり、仏教と共に日本に輸入され、平安時代の中期以降に広く行われたものである。 佐久間田之助の著書『日本建築工作法』にも「魯般尺」が書かれている。 「唐からじゃく尺」。(略)一尺二寸を八つに割り、之に財、病、離、義、官、劫、害、吉の八文字を当嵌めた目盛もある。之は唐尺と称して門を建るに用い、又は仏像剣を造るには必ず之に依ったと云う。「財」一寸福徳、仕合せよく財宝を得る。「病」二寸絶命、病などを受けて悪い。「離」三寸禍害、万事に離れて不吉。「義」四寸遊年、万事思うこと叶い仕合せ良い。「官」五寸天屋、立身出世し長命する。「劫」六寸遊魂、子孫繁昌するが盗難の恐れあり。「害」七寸絶体、災難、死人多く極めて不吉。「吉」八寸生家、万事に良く、大に仕合せが良い。即ち、一、四、五、八の寸尺は吉也。二、三、六、七の寸尺は凶也。以上は、単に昔話として之を掲げるのみである。 「魯般尺」は、ここでも重要視されず、見離されている。 安政3年に木村重之助常つねゆき将の書いた『大工日用、唐尺秘傳』がある。 門、並家の入口寸法吉撰の辨。夫それ門ハ惣構の生気なり、家の入口は一室の生気なり、故ゆえ共に気を生ずる位にして最も肝要の所とす、故に吉相の地を撰ぶべき事勿論也、然りと雖いえども譬たとへ吉相の場所と雖いえども寸尺凶なる時は、損財多く家業衰微を主る、之に依て今、天星尺を以て其寸尺吉凶を決せん事を示す。扨さて、此の天星尺と云うは曲かねじゃく尺九寸六分を八つに割り、其の一箇を各一寸二分とし,之を財、病、離、義、官、劫、害、吉の八字に配当し以て其の吉凶を分別す。譬たとえば高さ六尺二寸の門あり是を天星尺

元のページ  ../index.html#114

このブックを見る