大工道具に生きる / 香川 量平
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中国と台湾の魯般尺和漢三才図会より116は(陽宅用)生存している人が建築や仏壇、仏具などに吉寸を用いて使用し、「丁蘭尺」は(陰宅用)死人に対して使用するもので墳墓、寝棺、位牌などに使う。 魯般尺は9寸6分を八等分するものと尺を16等分する「玉尺」とは『和漢三才図会』に書かれている。また尺2寸を8等分するものと1尺4寸1分4厘を8等分するものなどがある。 しかし大工は決して、この魯般尺を見捨ててはならない、指金の原点であるからだ。将来この尺2寸の魯般尺が裏目であることを証明する人が現われるだろう。聖徳太子が百済から工匠を招いて四天王寺や法隆寺を建立しているが、彼等はすでに裏目の√2の法則を知っていたのである。そうでなければ法隆寺の大建築はなし得ない。 またそれ以前、雄略天皇に仕えていた大工の「猪いなべのまね名部真根」は韓国の新しらぎ羅から渡来した工匠集団であったが彼等も√2の法則は知っていたものと思われる。魯般尺の吉寸を使用して豊臣秀吉は天正11年に大阪城を築城したのは有名な話として大工仲間の間で語り継がれている。現在大工が使っている魯般尺の吉寸は「棟札」「門札」「墨指」「蔵の観音扉」などがあるが、今も魯般尺の吉寸で建てている住宅がある。(削ろう会会報65号 2013.03.18発行)

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