大工道具に生きる / 香川 量平
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 我が国の大工が現在、使っている指金の裏側に「財、病、離、義、官、劫、害、吉」の八文字がある尺二寸の「ものさし」が刻まれている。大工はそれを魯般尺と呼んでいる。古代中国に「魯般」という大工が夢の中で北斗七星の文曲星に教えられたという伝説があるのでその名があると前号に書いた。 また、魯般が昔、天竺(インド)でものさしを習ってきたとの説もある。その当時、天竺では建築技術が発達していて、首達長者が祇園精舎を建立した当時、釈迦が式尺を公表し、蟻と呼ぶ木組の技法をすでに使用していたという。木組の蟻と呼ぶ名称は、カマキリや蟻の頭が三角形になっているところから、その呼び名があるといわれる。 小泉袈裟勝氏は魯般尺を作ったという魯般は大工などではなく、今で言う工学博士的な存在の人物であったのだろうと次のように述べている。 「魯般」は伝説的な人物であるが経歴はもっともらしく伝えられている。姓は魯、諱が班、字が公諭、または衣智、魯の定公三年賢勝路東平村に生まれ、十五歳で「子夏」の門に学んだが、数ヶ月ですべてをものにし、その後、政治の改革を説いたが相手にされなかったので泰山に隠れ、十一年後、再び世に出て「飽」という仙人にあう。ところがその仙人は科学者で、魯は仙人から工芸技術を学び、今度は中国の文物の科学化を考えて、遂に「規矩準縄」の技術を開発したという。魯般は西洋のピタゴラスにも匹敵する中国の数学者であると共に、レオナルド・ダ・ヴィンチにも似た技術者であったと中国の『淮南子』という著者に書かれている。 また、荒俣宏氏は魯般尺について次のように述べている。 この「ものさし」は中国の大工が使う指金のことで、昔はこの「ものさし」を用いて建物や墓を建てた。この魯般尺の目盛には一単位が五・四センチあり、八つの集りで一尺二寸となり、これを「風水尺」とも呼び、しかも目盛は数字でなく「財、病、離、義、官、劫、害、吉」という八種類の漢字である。物の長さを測ったとき、どの目盛が端くるか、例えば墓の間口に魯般尺を当てて「病」の目盛で終るなら、その墓の長さは縁起が悪く、病に冒される。「財」の目盛で測り終るなら財産を呼ぶ。お店の入口の巾や高さを決めるとき、魯般尺の「財」の目盛になるよう選べば「千客万来」が約束される。使い 『日本の知恵』の著者遠藤ケイ氏は魯般尺について、次のように述べている。 大工が使う指金の裏側に「財、病、離、義、官、劫、害、吉」の八個の奇妙な文字が刻まれている。これは一尺二寸を八等分し、順に「吉、凶、凶、吉、吉、凶、凶、吉」とそれぞれに吉と凶が決めてある。これが唐尺である。別名、魯般尺、北斗尺、天星尺とも呼ぶ。唐尺は古代中国を起源とする測地術で、家の出入口や間取り、墓地の長さなどを測り、吉、凶を占う。今流行の風水術である。なんと、大工が使う指金は「風水入のものさし」であったのだ。 『家相の神秘』という日本家相学会発行の本の中に魯般尺(天星尺)の話が書かれている。 総て建物には天星尺といって、指金の九寸六分を八掃して、各一寸二分宛を「財、病、離、義、官、劫、害、吉」の八字を配して吉相を定むる尺を用いる。例えば、高さ六尺二寸の間口なれば、この天星尺を以て測るに、六度運んで、指金の五尺七寸六分を除き、残る四寸四分に天星尺を当てはめれば、即ち「義」の字に当るから吉である。勿論、横巾もこれにならって測る。 宮大工の滝川昭雄氏は「時代の証言者」と題して魯般尺を新聞紙上に投稿している。 私はホンコンや中国で大工仕事をしていた頃に、中国の大工より古いものさしを譲ってもらったら、その中に「魯般尺」が有りました。以前にお話しましたが、魯般は2500年も昔に生まれ、天竺に渡って建築の技術を学んだとされ、我が国の宮大工のルーツの人物です。その人の名前が付けられて「魯般尺」と呼んでいます。その「ものさし」は八つに分けられていて、目盛には吉と凶を示す文字が書かれています。吉を表わす文字は「財、義、官、吉」と凶を表わす「病、離、劫、害」があり、地形や水流など、建物を建てる際は「吉」に合うよう寸法を決めます。法隆寺金堂の図面を魯般尺で測ってみま方が非常にむつかしい「羅盤」に比べると一目瞭然、きわめて分りやすい風水尺である。また、吉と凶を即座に占える便利な「ものさし」である。「魯般」とは何か。彼はカラクリ作りの名人で「墨ぼくし子」のライバルであった。魯般は「雲梯」という巨大な攻撃機械を作り、宋の国の砦を攻め落そうとした際、砦の守備を任されていた墨子が秘術で応戦した。魯般が攻めかかること九度、しかし墨子は砦を守った。墨子の強力な守りのパワーを指して、世に「墨守」という言葉が我が国の辞書にある。 その48  魯般尺の話(2)117

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