大工道具に生きる / 香川 量平
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和漢三才図会より121この古墳が築造されたのは7世紀の末から8世紀の初めで我が国では最古の使用例という。 江戸の中期に書かれた『和漢三才図会』の百工具の項に「規」をぶんまわしと書き、竹を割って作り「根発子(コンパス)」と図示されている。また『和漢船用集』にも「渾発(コンパス)」南蛮鉄を以て作る、丸きをえがく、故に渾発すると云う。即ち、分廻し也、と記している。この鉄製のコンパスは18世紀の初め、欧州より我が国に伝えられたものである。 小泉袈裟勝氏の『単位の歴史辞典』には「渾発」として次のように記されている。 江戸時代、コンパスに当てた語、及び文字。三つの意味があり、第一は円を画く道具で規(き・ぶんまわし)、第二は図上の長さを挟みとって、ものさしで測り、あるいはものさしから所定の寸法を測りとるもの、第三は航海用の羅針盤のことである。建築や測量の製図用のものには、足の片方に墨溝を設けて烏口にしたものもある。 中国の大河である黄河の下流のデルタ地帯は、黄河の氾濫によって古代から悩まされ続けたが、数々の技術を開発し、特に土木建築技術を結集して、その氾濫に立ち向ったのであろう。それによって黄河の流域は漢族文化の発祥の地となったのである。漢代の中国最古の天文数学書である『周髀算経』によると、直角を求めるピタゴラスの定理が、その当時すでに中国では解明されていたようである。日本には6世紀の頃、中国や百済の文化と共に日本にも導入されたのであろう。西洋では紀元前、すでにピタゴラスの定理は考案されていた。この三平方の定理なるものは「勾股弦」の理と称し、木造建築には不可欠なものである。 天地自然の理によって、水面が静止し、地球の重力によって、下げ振りの振れが停止した時、「水平」と「鉛直」が求められるが、古い昔から、この自然の理を利用して、大工は建築工事を進めてきた。これは大工にとって、天からの大きな宝物をいただいていることを感謝しなければならない。第38代の天智天皇の天智10年(西暦671年)に渡来系の絵師である「黄書造本実」が「水臬(水準器)」を3月3日、天智天皇に献ったと日本書紀に記されているが、どのような水準器であったのかは内容が記されていないので不明である。江戸時代の中期に編纂された『和漢三才図会』には「準」と書き、みずばかり和名「美豆波加利」右側に「  (げつ)」を挿図入りで紹介している。『和漢船用集』では、この水準器を「垂準(さげずみ)」と記している。この水準器は水を使わず、木製で作られているもので、「水平と鉛直」が同時に求められるものである。三寸角をT字型に組み、右と左から強固な筋違を入れて中央部の柱を補強し、中央部の柱の天から下げ振を吊下げ、柱の中央部に付した芯墨と平行すれば、土台の下端が水平になる仕組である。この道具を別名「水平真尺」と呼び、平安時代には一般住宅の基礎工事などで広く利用され、急速に普及したようである。しかし、昔の人びとの智恵の深さに驚く。また、古代エジプトの石積工事で、石工が使っていたという木製の水準器がある。長さが四尺程の二寸角を正確に直角に組み、二本の角材の先端は、直角が狂わないよう強固に右左を繋ぎ、三角形となし、その繋いだ横木の中央部に芯墨を付しておく、そして、直角の部分を上にし、その直角の頂天から下げ振りをおろして、横木の中央部に付した芯墨に下げ振がくれば、右と左の足元は水平となる仕組である。幼稚な道具だが、共に水を使わない、古代の木製の水準器である。 水を利用して「水平」を求めようとしている絵図が御物である「春日権現験記絵」の中に描かれている。

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