大工道具に生きる / 香川 量平
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      下:古代エジプトの水準器上:古代エジプトの石工が使った正直ネパールの下げ振り(前場工務店蔵)水盛台(春日権現験記より)(ヨーロッパの伝統木工具より)122春日大社に関する絵巻で鎌倉時代の後期、延慶2年(西暦1309年)に描かれたものである。竹林殿の建設地の普請場の光景で、基礎石を据える者の隣で、木箱「水盛箱」に杓子で童が水を注ぎ入れ、大工が水面から水糸までの高さを測り、水杭に張った水糸と木槽の水面を見比べている姿が見事に描かれている。この竹林殿の「水ばかり」の様子の絵図は、昔の「水ばかり」の謎を解きあかす貴重な資料となったのである。 奈良県明日香村の高松塚古墳の石室が解体処理された際、石材のすべてが取り外された時に床面に多くの杭の穴と思われるものが、中央の床石の右と左に対称的に並んで発見された。その穴は古代の「水ばかり」に使用された水杭の穴であったことが判明したのである。その判明のヒントとなったのが、この竹林殿の「水ばかり」の絵図であった。重い石材を正確に組み上げるために基礎の基準線を出す技術がすでに確立していた最古の例で、技術の高さを知る上で貴重な成果であったと文化庁が新聞紙上で発表している。 中村雄三氏の著書『道具と日本人』の「準縄(水盛定規)」の項によると、九州の豊前地方では、角材をほりぬいた木槽の水盛箱は使わず、太い孟宗竹を二つ割にして利用しているという。中間の節を取り、樋を作り、安定した台座に乗せて、水を注入して水糸を張り、水面から水平を引き出す方法を近年まで行っていたとし、その複製品が北九州市立博物館に展示されていると説明している。この「水ばかり」の技法を「竹樋器」の法と呼び、我が国の飛鳥時代に使われていたという説がある。私が大工の見習の頃には「水盛缶」を使って水杭に高さを決め、水貫板を打ち、柱の芯墨を印していた。この技法を「遣方」と呼んでいる。最近は、レベルやトランシットを使っているが、レーザーなどの光で基準線を出している大工がいる。しかし狭い所では、今も水盛缶なるものが役立っている。 鉛直(立水)を求めるのに、大工は今も「正直」という簡単な道具を使っている。この道具を「莫迦」とか「三味線」とも呼ぶ。昔から姿や形はすこしも変わらず、今も大工はこの正直を使い続けている。古代エジプトのピラミッド建設の石積に使われたという、この日本の正直に良く似た道具が、昔の絵などに残っているが、原理は今と変らない。(削ろう会会報67号 2013.09.16発行)

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