柱が抜ける長者柱130 我が国の木造建築で一番重要な役割を果しているのが柱である。上屋根の重い荷重と土壁を支え持ち、その家に住む人々の命を守る大切な役割を担っている。それを知る人々は柱には神が宿っていると信じて崇拝し、神様を一柱、二柱と呼ぶ。 柱という語源は「はし」(間)に助詞の「ら」がついてできた言葉といわれている。「屋」と「地」の間(はし)にあるものという意味から「此岸と彼岸をつなぐ橋」ともいわれている。そのように柱は天と地を結び、神が降りくる場所(依代)で人と神をつなぐ神聖なものとして、古い昔から人々は柱を敬ってきたのである。 また、長野県の諏訪大社の勇壮な御柱祭は有名である。各社殿の四隅に建てられた樅の大木の御柱は合計16本で、その御柱は天から神が降りてくる依代として崇められている。 一般の家庭でも正月を迎えるため、玄関の右と左の柱に、赤白の水引をかけた男松を右に女松を左にかけて正月を迎える。男松には男神が女松には女神があまくだって、その家の柱に宿ると言うのである。それによって、その年は家内一同が「無病息災」で暮せるという言い伝えが古い昔からある。そのような正月の行事も、日本人の柱信仰によるものであろう。 讃岐(香川県)では昔から農家の住いは、ほとんどが八やつおだ尾建ての入母屋造りで、日本瓦葺きであった。八尾建てというのは屋根の尾ダルキが8本使用されているところから、この呼び名がある。 また、入母屋造りというのは古い伝説話によって名付けられたという。昔ある大工の棟梁が何の魔がさしたのか、新築中の大切な棟木と母屋を短く切り落としてしまった。棟梁は思案に暮れていた。それを知った老いた母が、鳥が羽根を広げたような屋根づくりをすればと言うヒントを与えた。棟梁は老いた母のヒントを得て、見事な屋根造りが出来上ったのである。母の入れ智恵によっての屋根であるため「入母屋」という名が付けられたのだと言う。また、京都の千本釈迦堂(国宝)に伝えられる話は、名匠の長井高次は内陣の四天柱の丸柱を一本短く切り落としてしまったが、妻(おかめ)の枡組で補充するという助言によって、棟梁は無事に上棟することができたという。古い昔から、母や妻の助言によって棟梁が難を逃れた話が全国各地に数多く残されている。建築用語に「母とか妻」という名称があるのは、そんな所から名付けられたのかもしれない。 香川県の入母屋造りの玄関を入ると土間は「三たたき和土」仕上で左正面に1尺1寸の欅の大黒柱が建っている。屋根の重い荷重を一手にひき受けている感のある太い柱が住む人々に安堵の心と安らぎを与え、そして、その柱が家の象徴となっているのである。別名、大極柱、亭主柱、役柱、斎いみばしら柱、などと呼ぶ。大黒柱と向い合って建っているのが向大黒とも「恵比須柱」とも小大黒柱とも呼ぶ。5寸5分角で欅であるが、共に柱巾の寸法は魯般尺の吉寸となっている。この恵比須柱と大黒柱に差付けられているのが欅の上り框である。この框は土間から座敷に上る敷台が取り付けられている。敷台から上った部屋は力りきてんじょう天井となっていて大黒柱には差鴨居と呼ぶ太い指物が四方差となっていて、天井は低く、中二階となっている。座敷は八帖間で、床と違棚に付書院がある。床柱は京都北山産の絞り丸太で「寒締め」が施されたもの。寒締めとは、前年の12月から、その年の2月迄の間に梢の葉をすこし残して、他の枝はすべて伐り落し、杉の生長を止め、杉丸太に秋目が二重にかさなるようにするものである。寒締めを施した床柱は先々で見事な光沢が表れるのである。座敷で最高の柱が出書院の「書院柱」である。 木には「白木、赤木、黒木」と3つに色分けされた呼び名がある。「白木」というのは木が製材されて製品化されているものを呼ぶ。「赤木」とは樹皮をはぎとり木肌の表れているもので、床柱や杉の小丸太などを言う。「黒木」とは数寄屋造りなどの茶室用材として使用される樹皮のついたままの自然木のことを指して言うのである。 香川県で使用される建築材のほとんどが高知県産の民材ではあるが、桧の芯持材の4寸角が土台、柱などに使われる。「ダレ」(丸み)などがなく「金角」で「ヤセ」(白太)が少なく、座敷の本柱などは「色物」(無
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