大工道具に生きる / 香川 量平
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(カイロ博物館蔵)エジプトツタンカーメンの椅子 罫書く(竹中大工道具館展示パネル) その54  罫けびき引のはなし135 罫けいを引くという言葉がある。真すぐな線を引くことだが、我が国では古い昔から文字や線を引くのは筆一本であった。その昔、誰が考え出したのか携帯用の筆記用具である「矢やた立て」という道具があった。真鍮製等で筆と硯を一物に仕込んだもので、墨ぼくち池の墨入れの容器は蓋付で、筆を入れた棹の部分は使い手の腰に差すというものだ。私が子供の頃には、富山県から薬の入換にくるおじさんがいて、支払が終ると、腰に差した矢立てから筆を取出し、領収書と共に紙風船をいただいた思い出がある。その後、万年筆の普及によって矢立てという和製の文房具は姿を消してしまった。 昔、和紙に筆を使って罫線を引くのは大変であったのか、古い書き物に残る筆跡などには罫線の曲ったものが多く見られる。筆を使って罫線を見事に引くのは大工の棟梁であった。私が大工の見習いでいた頃、親方は図板(手板)に家の図面を書き付けていた。細い罫線は墨指を使い、太い罫線は木で作ったコンパスで、片方に筆を挟み、もう片方の先は、小穴をついた定規板にのせて筆を使って見事な罫線を引き出していた。大工の棟梁は図板の罫線には細心の注意を払い、正確で鮮明に書き付けることは棟梁としての責任であり義務であった。 大工道具の中に罫引と呼ぶ道具があるが、この名称は「罫を引く」という言葉から名付けられたといわれる。荒っぽい大工道具の中でおとなしく物静かな道具であるが、古い歴史を持つ道具である。 奈良の正倉院には数多くの御物である古い木工具がある。『正倉院の木工』という本には、罫引や白しらがき書という道具が使用されている痕跡が各所に見られると説明している。また、エジプトのカイロ考古学博物館にはツタンカーメンの遺品である黄金張の目を見張る見事な寝台と椅子が展示されている。三千数百年の昔のものであるが、解説者の説明によると、黄金張の下地の材は、印度方面からその昔、輸入した黒檀で作られ、各所に見事な彫刻が施されている。そして、細工の仕口は枘ほぞと枘穴によって組立てられ、接着剤は膠にかわを使用しているという。「罫引という道具を使っているのか」の問に解説者は「罫引は使っている」と答えた。そして「この時代に製作されたものはアマルナ芸術の伝統が見られる」という説明であった。このように古い昔から木工職人にとって罫引は正確な仕事をする上で手放すことのできない大切な木工具であった。 現在、大工や木工家が使用している罫引には「割罫引」と「筋罫引」の2通りがあるが両者共に構造上は同じである。割罫引は大型で、主に大工が良く使用するが両手を使う。節のない8分厚みの杉板などであれば、裏と表から割罫引を通せば簡単に任意の幅を木取りすることができる。また、この割罫引を「甲羅罫引」などと呼ぶ人がいるが、罫引の側面の形が蟹の甲羅に似ているところから、この呼び名がある。また、茶室などの網あじろ代天井を編むとき「野のね根板」を任意の幅に木取りするが、その折にこの割罫引を使う。野根板とは高知県の野根山から産する「椹さわら」の薄板で、厚みは約1分、割鉈で柾目に割ったもので幅は約5寸、長さは3尺3寸で約20枚入りが1束となっていた。 また、「筋罫引」には一本棹罫引と二本棹罫引とがある。一本棹罫引には刃が一本しかなく木づくりの折に木幅を正確に決めるもので、二本棹罫引には刃が一本づつあるので「枘罫引」とも呼んでいる。棹の止めは中央部で楔くさびか、ネジ止めとなっている。 「鑿罫引」というのは、楔やネジ止めではなく、定規板に取付ける棹を硬く仕込んでいるもので、棹は太

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