大工道具に生きる / 香川 量平
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上:紅牙撥鏤尺(北倉)下:緑牙撥鏤尺(北倉)カラーブックスより138 その55  正倉院の「ものさし」 我が国の宝庫といわれる正倉院は奈良の東大寺大仏殿の裏側に位置し、正面を東に向け、桁行33m、梁行9.3m、総高さ14mで向って右より北倉、中倉、南倉の三倉一棟で高床式の建物である。基礎石は若草山の自然石を据え、2.4mで直径が60㎝の束柱が40本、整然と並んでいる。厚い座板と土台で固め、北倉と南倉は、土台の上に桧の校木を組み上げた「校あぜくらつく倉造り」である。その当時、縦挽鋸や台鉋などはなく、割鉈で桧の丸太を「ミカン割り」にした三角形の校木を釿で木づくりした大工たちは大変に苦労したことであろう。屋根は寄棟造りで、日本瓦葺きである。中倉は厚い壁板を積み重ねた板倉となっている。三倉とも中央正面に入口を作り、伝統として「勅ちょくし使」の立ち会いがなければ開封はできない。 建立されたのは天平時代の756年の前後であろう。第45代聖武天皇は天平4年(752)に東大寺大仏開眼供養を盛大に行ったが、同8年に惜しくも崩御され、天皇の七しちしちき七忌にあたり、光明皇太后は天皇の御冥福を祈り御遺愛品と共に御物その他数々の品700点あまりを東大寺の大仏に献納されたのである。その品々は正倉院の北倉に聖武天皇の御遺愛品として納め、中倉に武器、古文書、南倉には天皇の関係品と仏具が納められた。 その御物の中に象牙で作った直尺で1尺のものさしである「紅こうげばちるのじゃく牙撥鏤尺」が2枚、「白びゃくげのじゃく牙尺」2枚が北倉に納められていた。昭和59年、第36回の正倉院展に北倉より「紅牙撥鏤尺」1枚、「緑牙撥鏤尺」1枚が出展されていた。紅牙撥鏤尺は実に鮮やかな紅色で千二百数十年の昔のものと思えぬ美しさがあった。それらの牙尺は中国の唐の時代に作られ牙撥鏤尺」が2枚、「緑りょくげばちるのじゃくたもので、その当時の遣唐使や帰化人、留学僧たちが我が国に持ち帰り、天皇に献上したものであろう。この美しい紅色を作り出すには白い象牙を15年間、染料の中に浸さなければならないという。 この北倉より出展されていた牙尺は正倉院展の解説書によると「紅牙」は長さ29.8㎝、幅2.3㎝、厚み0.6㎝で、「緑牙」は長さ29.8㎝、幅2.3㎝、厚み0.8㎝で2枚共に1尺ざし。それぞれ象牙を紅、あるいは紺色に色染めし、表裏と側面に「はねぼり」で文様を表す。文様の細部は、点彩を施して美しく仕上げる。表面に寸の界を画すが分の界はなく、実用の尺としては適さない。おそらく中国、唐の儀礼にならった儀式用のものさしであろう。 紅牙撥鏤尺は、一面の上手を5区に分け、唐花文と蓮花上のおしどり一対を交互に配し、下手は区画を設けずに一基の蓮花唐草を主文とし、それぞれの蓮花上に踊る童子と水鳥を表す。他の一面は文様を横に配し、5区に分けた右半分には、交互に唐花文とおしどりを、また、左半分には含綬鳥、蓮花唐草、迦陵頻伽を表す。両側面にも小花文をならべる。紅牙尺では各はねぼりの文様の細部に緑、青と黄を点じて、いろどりをつける。 緑牙撥鏤尺の方は、象牙を紺色に染め上げ、表と裏に、はねぼり文様を施し、朱、蘇芳色、黄の点彩をする。一面は10区に画し、唐花文5区の間に、飛鳥と含綬鳥、蓮花上のおしどり、2角をそなえた獅子、綬をくわえた双鳥、花形の角をはやした鹿の各1区を配する。他面は区画を作らず、花弁と含綬鳥を交互に表す。側面は小花文。紅牙、緑牙いずれも精密な刻文と鮮やかな色調による天平文様が、区画いっぱいに展開され、現存の撥鏤作品のうちにあっても特に華やかな意匠の「ものさし」として知られている。 平成4年、第44回の正倉院展に中倉より「紅牙撥

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