ので、多少の誤差はまぬがれない。さらに象牙や犀角のような動物質のものを素材としたものは経年の変化による収縮をも考えなければならない。 これらの尺の長さは、かつて東京帝国大学が奈良時代の建造物より算定した。当時の一尺は曲尺の0.97967尺であって院蔵木尺の0.9790尺が、もっとも近いことが知られる。以上は正倉院に伝存する尺度そのものの寸法である(以下略)」正倉院全景CGで復元された柵に囲まれた建物群(左上は王の居館)140 現在、正倉院に現存する「ものさし」は紅牙撥鏤尺が6枚、緑牙撥鏤尺が2枚、斑犀尺1枚、木尺1枚、未造了尺が2枚、白牙尺が2枚の合計14枚である。 『天皇のものさし』の著者、由水常雄氏によると、明治5年、町田久成を団長とする全国社寺調査団が正倉院を調査した折、蜷にながわのりたね川式胤という調査員が紅牙撥鏤尺2枚、緑牙撥鏤尺1枚、白牙尺4枚の合計7枚を無断で持ち出し、自宅の蔵に隠し持っていたという。この牙尺は1本が1億はするという品である。『正倉院物語』の著者、中川登史宏氏は、「長い歴史を持つ正倉院には数々の事故が多発していた。建長6年(1254)には北倉に落雷があり、必死の消火で焼失を免れた。また、盗難事件も4件あったが犯人はすべて逮捕され、斬首されて、さらし首にされた」と述べている。 その後、正倉院は昭和28年に鉄筋コンクリートの新宝庫を建て、宝物はすべて永久保存となっている。 正倉院以外にも法隆寺に聖徳太子が昔、使用していたという「紅牙撥鏤尺」長さ29.7㎝が一枚現存していたが、明治11年法隆寺が宝物一式を皇室に献上した中にこの紅牙尺が含まれていた。現在、この紅牙尺と太子が若草伽藍の五重塔の心柱を挽いたという伝説の折れた横挽鋸が共に東京国立博物館の法隆寺宝物館に展示されている。 『ものさし』の著者、小泉袈けさかつ裟勝氏は象牙尺について、「古寺に蔵されている尺度はおおむね小尺で律尺であるが、もっとも美しく、ていねいにつくられ、しかも4444は大尺である。正倉院にある紅牙撥鏤象牙のものさし尺はその一つ、世界にも類のないもので象牙を紅色に染め、文様をハネ彫りにしてある。(中略)法隆寺のもののほかに、陸奥国の慧えにちじ日寺にもあったことを(狩谷)棭斉その他が記している。これは平将門の娘如蔵尼の遺品だったといわれている。この方は緑色に染められていたので瑠璃尺と呼ばれた。色と文様のほかは法隆寺のものと同じで、ただ寸法が四厘長かったと棭斉は記し、『古今要覧稿』は1分5厘長かったと記している。」と説明している。 神戸の灘の銘酒、白鶴の美術館にも「染象牙撥鏤尺」がある。長さ30.48㎝あり、天平の基準尺値より長く、正倉院にある象牙尺とは、すこしの異なる。 現在、我が国で使用されている指金は、この正倉院の「ものさし」にルーツを持っている。(削ろう会会報73号 2015.03.23発行)
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