日光のスギ並木街道 その57 杉の木と道具箱の話143 辞書では「杉」のことを「椙」とも書く、日本に特産するスギ科の常緑針葉樹。各地に広く植林。幹は直立して50mに達し、樹皮は褐色、繊維質で強靭。(中略)材は木理が、まっすぐで柔く脂気に富む。家具、桶、樽、曲物、その他、種々の用に供し、樹皮は屋根を葺くのに用い、葉は線香の料、古くは神事に用いた。吉野杉、秋田杉が最も有名。古名「まき」、漢名「倭木」。また、家紋などに用いられている。 と解説している。また、専門書によると、スギの語源は「すぐ木(真直ぐな木)」からとある。スギの寿命は、屋久杉などは別として、ヒノキより短く、約500年から600年と述べている。また、杉並木で有名なのが山形県の羽黒山と栃木県の日光のスギ並木街道である。鹿児島の屋久杉の原始林と共に特別天然記念物となっている。 全国で有名な杉の産地は、屋久杉を除けば吉野杉と秋田杉であるが、辞書では吉野杉は奈良県の吉野地方に産する杉材で、古くは吉野川に流して和歌山を経て、京阪地方で利用された。「樽丸(酒樽)」などが有名と記している。 専門書によると、吉野杉の伐採時期は年に4回ある。春伐りは4月~5月、土用伐りは7月~8月、秋伐りは9月~11月、寒伐りは1月~2月と年間を通じて伐ることができるが春伐りが一番である。斜面に対して伐倒された杉は木の先頂部の葉を残して剝離され放置される。これを「渋抜き」といい、この間に樹心の水分が徐々に放出され、吉野杉特有の赤味が発色する。渋抜きの期間は60年生で約6ヶ月、200年生で実に20ヶ月もの長期に渡る。吉野杉の特長は無節、円満、直通、元・末の同大、年輪幅の均一と、あの赤児の肌のような光沢といわれる。吉野杉を育てる人々は、すこしの努力も惜しまない。 秋田県の米代川の流域には秋田杉の美林があり、樹齢300年という天然林がある。高級建築材、特に秋田の杉柾天井板は昔から有名。厚み2分3厘、板巾尺1寸、長さ6尺3寸の杉柾天井板を一気に引抜いて仕上げるのに苦労したものである。仕上鉋を研いでも研いでも削れなくなる。「風呂に入れろ」と親方が怒鳴る。鉋刃を沸騰する湯の中につるして数分間、冷まして研ぎ上げると調子よく又削れる。くり返しながら杉柾の天井を仕上げたものである。 最近の杉の天井板は、ほとんどが張りものであるが、無垢物の天井板では「柾」「中杢」「板目」「源平杢(この板は赤身と白太が混り合った板で、白太が源氏、赤身が平家)」とは誰が名付けたのであろうか。「純白」は、すべてが白太であるが、美しい「ちりめん絞り」などの杢目がある。 杉の磨丸太は京都の北山か奈良の吉野であるが、北山では昔、「寒締め」が行われていた。これによって美しい艶が床柱に数年後、現れるのである。床柱の最高品といえば「天然絞」であるが、非常に数が少なくて高価であった。ところが大正11年頃、新谷栄太郎という人が人造絞の床柱を作り出すのに成功した。天然絞にほぼ近いもので人々を驚かせた。今も関西では人造絞の床柱を「新谷絞」と呼び、人気が高い。 舟大工によって木造船が作られていた頃、舟材といえば宮崎県産の「飫おび肥スギ」の弁甲材が最高の造船用材であった。江戸時代、藩の財政を助けるため、藩主は、この樹脂分が多く含まれ、海水に耐久性のある地元の飫肥スギに着眼し、植林を奨励して造船用材として売出し、財政を回復させたという逸話が残されている。 養老4(720)年舎とねり人親王らによって『日本書紀』30巻が編纂された。その神代の上の項に、 一書はいう、素すさのおのみこと戔嗚尊は「韓からのさと郷の島には金、銀がある。もし我が子が治める国に(韓にわたる)舟がないと良くない」といい、すぐに、ひげを抜いて散らかした。スギになった。また、胸毛を抜いて散らかした。
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