高知県のヤナセ杉板大阪城大手門の柱根のバザラ継手著者の道具箱145でいるが、辞書などでは「水土中に埋れて、多くの年数が経った杉材の住𠮷、火山灰中に埋没したものとされている。色は、蒼黒色で堅実、伊豆半島、箱根地方、京都府、福井県の海浜地方から掘り出され、工芸品の製作、高級日本建築の装飾品として用いられる」と説明している。しかし、我が国の各地には、まだまだ神代杉が数多く埋れている可能性があると思う。 昭和35年頃の話である。日本国中が建築ラッシュで、全国の大工が大忙しであった。その頃に土地成金が、豪邸を新築した。座敷の彫刻ランマに神代杉で彫り上げた「近江八景」の見事な最高品を取付けた。その男、町中を自慢して歩いた。しかし、半年も経たない内に、家の娘二人が夜中にランマの中央部に木霊が現れているのを見たというのである。ランマは「松、竹、梅」に早速入れ換えられた。その噂、町中に広がり話題となった。すくすくと育っていた杉の巨木の、一夜にして火山泥流で命が絶たれた悲しい怨念であったのだろうか。 静岡県の南部にある「登呂遺跡」は1943(昭和18)年に発見された弥生時代の後期の集落と水田跡である。その当時、河川の氾濫によって埋れたといわれている。出土した遺物の中には杉の木で作られた矢板、木柵のほか、生活用具では高杯、鉢、杵、杓子、腰掛、火鑽臼、火鑽杵など、遺物は考古館に展示されている。 奈良の正倉院には、杉材で作られた木工具が数多くある。有名なのが、御床、赤せきしつかんぼくこしょう漆𣠤木胡床、北倉にある楊しじあしき足几(小机)、南倉の漆櫃(唐櫃)などである。縦挽の大鋸や台鉋の無い時代である。打ち割った杉材を釿や、ヤリ鉋を使い、砥草や椋の葉で仕上げたのである。唐櫃は杉の柾板で縦巾が1尺7寸5分、横巾が2尺8寸5分という一枚板である。巾の広い板を作り出すのは苦労したことであろう。 大工の道具箱は乾燥した6分の杉板で作るが、昔の道具箱は担いで移動するので縦長であるが、昭和に入って平型となっているのは、自転車で運ぶようになったからだ。道具箱の巾、長さ、高さの寸法は任意であるが、切断する末端の寸法が3ヶ所共、「6」の寸法とするという決まりが昔からある。この「6」について昔親方に聞いたことがある。6は「陸ろくみず水」に通じ、水平の意味で、この神は「天あまのみなかぬしのかみ之御中主神」で「北極星」であるそうだ。「6」の数字を使うことによって、道具箱に北極星が封じ込まれ、大切な大工道具を守ってくれるのだという。(削ろう会会報75号 2015.09.28発行)
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