おかめの銅像おかめ供養塔150壇に飾られた扇御幣には高々と、おかめの面が取付けられて、妻おかめの冥福と無事の上棟を高次は涙ながらに祈ったのである。この千本釈迦堂には、このような妻おかめの悲話が今に語り伝えられている。 江戸時代の中期、京都の大工連中が「おかめ恋しや」と言って池永勘兵衛棟梁が中心となり「おかめ塚」を本堂に向って右前に建立したのが現在の宝ほうぎょういんとう篋印塔である。また、昭和に入って、京都の大工連中が、おかめを賞讃し、美談として残そうと、おかめさんが斗栱を抱いている銅像を、おかめ塚の隣に寄進している。現在、千本釈迦堂では「失敗は必ず成功のもと」となり「七転八起、念願成就、開運厄除」などの「おかめの福お守」が好評で、参拝者が後を絶たない。 昔から大工の間で、建前の折には「3つの間違はするもの」という言い伝えがあった。それは上棟した家が完全無欠なものでなく、9.9で留まっている事を意味したもので、頂上に達すると、次は下り坂となるため、その家の家運が下らないという配慮から、そのような言い伝えが生れたものであろう。左官の棟梁も、そのような言い伝えを信じてか、旧家の古い家の床の落掛の裏側の壁を塗り残している所が今もある。昔は、そのように、その家の家運が上昇するようにと願って職人たちは仕事をしていたのである。 そのような話で有名なのが、日光東照宮の陽明門に見られる「逆さ柱」の話である。この陽明門を建立したのは、江戸幕府の作事方の大棟梁であった「甲こうらぶんごのかみむねひろ良豊後守宗広」であった。この棟梁は「月は満つれば欠ける」と言って、建築物というものは完全無欠は良くないと言い、特にこの陽明門は立派すぎるので、色々な魔が差さないようにと、魔除の逆柱を一本たてて、これにより陽明門は完成していなく、建築物の崩壊は始まらないと考えて、一本の逆柱を建てたと伝えられている。この陽明門には12本の柱が建っているが、すべて「グリ紋」が施されている。高橋晴俊氏は、「グリ」とは中国の堆ついしゅ朱のデザインなどに見られる曲線の文様であり、一見獣の顔のように見えるところから「獣じゅうめん面」などと呼ばれていると記している。日光東照宮の逆柱は一本であるとされていたが、現在では逆柱が2本見つかり、合計3本となっている。 『日本の民間神』妖怪変化などを紹介する本に山田野理夫氏が「逆さ柱」の話を書いている。昔、相州、小田原の商家で、新築祝が催されていた。その祝宴の折に「俺は首が苦しい、苦しい」と呻り声がした。人々は座敷を見まわしても姿は見えないが、首が苦しいと呻る声は、まだ、まだ続いた。人々が良く聞くと、その声は座敷の柱から出ていることがわかった。一人の客人が「この柱が逆さまになっているぞ、それで苦しがっているのだ」と言った。昔には、逆さ柱に建てると「葉っぱ妖怪」が出て、その家に住む人々の夢の中に現われ、おどしたり、苦しめたりするのだという。 佐々木藤吉郎氏が『秋田の大工職人 秋田の民衆史
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