大工道具に生きる / 香川 量平
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おかめの御幣1512』と題して、昔の「職人と迷信」の話を書いている。昔の職人にまつわる迷信や信仰は少なくない。大工の使用する曲り金(指金)の裏側にある唐からじゃく尺を用いて家を建てると幸福が訪れるという、そして、大正の初期までこの唐尺が大工の間で使われていたが、まったくの迷信で、科学的根拠が無く、現在、唐尺(魯般尺)を用いる大工は、おらないと思う。その他に、上棟式に棟梁が履いた草履は女の安産のお守とされている。また、大工が使用している砥石を女が跨ぐと割れる。土蔵の妻側の棟下の壁に「水」の字を左官が書くと火伏の呪いとなる。棟上げの上棟式に、まいた穴あき銭を台所の自在鉤に結び付けると、これも火伏の呪いとなる。茅屋根の棟の倉掛を偶数にすると、その家は女主人となる。家を建てる建築材に「朴ほお」の木を使用すると家運が悪くなり、「槐えんじゅ」の木を使用すると家の魔除けとなる。また、槍を長押にかける時は、穂先を床の間に向けるな。その故事にならって天井の竿は床の間に向けるな。床に向けると床ざしとなり凶である。天井板は床側から張り出せ。これは昔、矢が飛んで来た時に矢止となる。床脇の違い棚の上の木口を床の間に向けるな。柱の末うれと元もとを良く見定めて、逆さ柱に建てるな。2間に4間の家は建てるな死に間に通じ凶である。岬、谷口、宮の前や寺横の敷地に家を建てるな。など、佐々木藤吉郎氏は明治生れの人であるが、後輩の大工連中に注意事項を書き残してくれている。 昔、「大工太平記」という、森繁久弥が大工の棟梁に扮する映画があった。弟子(見習)が、道具を取り落して柱に瑕きずを負わせた。親方が「ええか、良く聞け、お前の手の傷は嘗なめりゃ治るが、この柱の瑕は、お前が死んでも直らないのだ分かったか」といって大きな「ビンタ」を食う場面があった。これは、昔の親方が見習に怒鳴りつける名セリフであった。ビンタなどで済されるのであれば良い方である。私は指金のコバで首筋を2度、叩かれている。首筋からしたたれ落ちる血を見た時の無念さ、情けなさは言葉で言い表せない。しかし、失敗して親方を怒らせたのだから辛抱するしかなかった。 後々に知ったのだが、この親方の行為は指金の「矩かねの手」を直すという手段であった。大工の弟子(見習)の首筋を叩いて矩の手を直すという方法が一番良いと言われ、昔から行われてきたのである。指金の神は「八やごころおもいかねのかみ意思兼神」と呼ばれ、神話に登場する大変に古い神であるが、手荒な神とされている。しかし、この神が大工の大切な「規矩術」を秘め持っているのであるが、大工の見習は、すこしも規矩術を紐解こうとしない。それに立腹して、首筋を叩かせるのだと古老の大工から、昔、聞いたことがある。 我が国には、昔から「失敗は成功の元」という諺がある。どの職種の見習も失敗を繰り返し怒鳴られ叩かれながら技術が上達して行くのである。(削ろう会会報77号 2016.03.28発行)

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