156 削ろう会が昨年20周年を迎えたことお歓び申し上げます。 私は下手な文面で削ろう会会報に大工道具の話や道具の雑学についての記事を書きました。しかし私は88才となり、目も悪く体力の低下に伴い、60回目をもって連載を終了させていただきました。会員の皆様には長年のご愛読、誠に有難う御座いました。 今年は私にとって幸せな年となりました。上條会長、望月氏、伊奈氏、事務局の伊藤氏、編集部の田原氏によって、私の記事「大工道具に生きる」が小冊子として世の中に出たことです。 私の記事は戦中、戦後の暗い時代の記事が多く、晴れ晴れとした記事でありません。長い年季奉公、兄弟子の嫌がらせ、怒鳴りっぱなしの親方、食糧事情の悪化で空腹に耐えた弟子たち、しかし、その辛抱に耐えた為、今は何者にも負けない強い精神力を持っています。現代の若者の中には、つまらない事で命を落す者がいますが、もう一度考え直す必要があります。日本人の心の底には強い精神力が宿っているのです。 昔から大工道具は職人の手の延長であると言いますが、未熟な大工が名工が鍛えた道具を使うと「道具が笑う」という大工言葉があります。道具に笑われない様、大工職人は技術の向上に向って努力せねばなりません。 過去を振り返ってみると私の親方は、いい道具を持つ職人は、いい仕事もできるという信念を持っていたようです。いい打刃物、いい天然砥石を追求し自分の技術力と共に「大工道具に邁進せよ」と言ったのは厳しい5年の年季奉公が明けた時のことでした。 その言葉を信じ、大工道に励んできました。そして最後に出会ったのが「削ろう会」でした。その会場で全国の名工鍛冶や天然砥石、そして全国の有名大工棟梁に出会ったのも削ろう会のおかげと感謝しています。 「大工道具に生きる」の記事は古い話が多く登場しますが、今の若手職人にすこしでも参考資料としてお役に立てれば幸いです。平成30年10月吉日香川 量平あとがき
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