大工道具に生きる / 香川 量平
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東大寺南大門で発見された墨壺中国の墨壺(竹中大工道具館蔵)飛騨型の墨壺日本の墨壺(日本、前場資料館蔵)関東型の墨壺16た。この国宝級といわれる尻割れ型の墨壷の「すぐち」は鉄製の飾りが取付られていて、中央部の小さな穴が少しも傷んでおりませんでした。大工が使っている墨壷は墨糸が通るたびにすぐちが傷むので、陶器で作ったすぐちを取り付けています。すぐちは壷口とか糸口と呼ばれていますが、小川三夫棟梁は私に鉄口とも呼びますと教えてくれました。鉄口とは鉄砲の銃口と言う意味があります。故村松貞次郎先生は、「糸の出る側が頭です。そして尻割れ型の名付親は私です」と私の問いに答えてくれました。 この見事な尻割れ型の墨壷が大工の忘れ物であると言われておりますが、この墨壷は南大門の上棟式の折に大工の棟梁が、指金、墨壷、釿の三点を奉納したものと私は考えます。幸い墨壷と墨指が残っていたと見ています。大工の三宝といわれる大切な墨壷を決して忘れることなど有り得ないことです。 もう一点の墨指ですが、桧製で長さが17cmで先端は約3寸勾配に削られておりますが一番大切な先端の割り込みがなく、この墨指は、国宝級の墨壷との釣り合いがとれておりません。 墨壷と墨指は今ふうに言えばペアーであり、大工はこの両者を夫婦と呼んでおります。墨壷のすぐちから引き出される墨糸は絹糸で水糸とも呼ばれています。引き出される墨糸の先端には「軽かるこ子」と呼ばれる小錐が付けられたものがあり、これには仮子か猿子、弟子などという呼び名があります。昔、大工の父を持つ大変に親孝行の娘がいました。針仕事をする母の姿を見て、針の付いた止木を考えだして、父に渡して親孝行した娘の名前であるという言い伝えがあります。また弟子と呼ぶのは、軽子を持つのは大抵が大工の見習いでした。そんな関係で大工の見習いの呼び名を「かるこ持ち」と呼んだのです。 お隣の国、中国では軽子のことを「替かえぼ母」とか「師し母ぼ」と呼んでいます。中国の大工の神である魯般が、母が老いて軽子もちが出来なくなったので、母にかわる道具を考え出したので「替母」と名付けられたそうです。(削ろう会会報9号 1999.04.28発行)

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