大工道具に生きる / 香川 量平
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前場幸治 著『墨壷の美』より左官用朱壷18の折、以外と朱壷が威力を発揮します。 朱壷は左官職人にも使われています。左官職人が使う朱壷はすぐちが長いのです。理由は隅から隅の墨打ちが多いからです。また鉄工関係の職人も朱壷を使っています。白壷も使っています。また鉄船を造る造船所でも朱壷、白壷、黄壷などが使われています。最近、朱壷に入れる朱液は、化繊の糸にも浸透するように作られていますが、昔は紅殻と呼ばれる第二酸化鉄で作られた赤い顔料が朱壷に使われていました。しかし紅殻によって墨糸がひどく痛み、切れやすいので、私の親方は高価な天然の山繭の絹糸を使っていました。 紅殻の話が出たので余談になりますが、紅殻の話をお聞き下さい。英語で紅殻のことを「INDIAN RED」―インディアンレッドと呼び、インド赤で南アジヤ、特にぺルシャ湾で採取する黄色味を帯びた赤色の土で顔料および磨き粉用として使用すると説明しています。またベンガル湾地方で取れるので「ベンガラ」という名前が付けられたのだと言う人がいます。 我が国での紅殻の使用は大変に古く、全国各地から発掘された古墳の石室の土間一面に紅殻が敷き詰められている古墳が多くあるそうです。 昔の古い民家や商家には黒く煤塗りした豪邸が全国各地に残っています。煤塗りは紅殻と煤を水で混ぜ合せて大黒柱や各柱、桁、胴差、二階差と建築材料のすべてに煤塗りをします。乾燥すると油桐の実から採取した「桐油」を塗って磨き上げるのです。桐油は別名「毒えい」と呼び食用になりません。毒えいが浸透した建築材のすべてには害虫や白蟻を寄せ付けない利点があります。また住宅をいつ迄も美しく見せて長年の保存に耐えることができるのです。 紅殻は昔、ダイヤモンドや高級レンズの研磨にも使われていました。昔の大工はノミや鉋の裏押しにも紅殻を使っていました。また近年、電車の切符や電話カードなどの裏面に塗られているのは紅殻なのです。また左官工事では紅殻の入った赤い壁が、高級な壁として今も塗られています。昔、越前瓦の釉薬として福井県の野尻の紅殻が使われていました。この越前瓦は紅殻によって暑さ寒さに大変強い瓦として、雪の多い寒冷地に好評を得ておりました。 厚木市の前場幸治さんの著書『墨壷の美』の中に「法隆寺の金堂や五重塔の各部材には墨打ちの痕跡が残っているほか、雲肘木の大ホゾ穴には朱銀の墨付の痕があり、同じ東院の地下から見つかった堀立柱の木口には墨線の痕跡がありその当時、寺院建築に墨壷が大いに活躍していた様子がうかがわれる」と書かれています。雲肘木のホゾ穴の墨跡の「朱銀」とは紅殻の紅色ではなく辰砂と呼ばれる赤い礦石(硫化水銀)から作り出された黄ばんだ赤色の顔料なのです。その当時の大工は朱壷に紅殻を使わず、辰砂から作り出した「朱銀」と呼ばれる赤色の顔料を使っていたのかもしれません。     (削ろう会会報10号 1999.07.24発行)

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