大工道具に生きる / 香川 量平
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 その9  墨壷の話(4)19 江戸時代の中ごろ、大阪に寺島良安という医者が図説百科辞典『和わかんさんさいずえ漢三才図会』を発行しました。その当時勉学を志す若者達や一般の人々にも大変に役立ったと伝えられています。その辞典の第二十四巻の百工具の項に大工道具と共に墨壷が絵図入りで書かれています。尻割れ形の墨壷で「縄墨(なわずみ)」と書き、和名「須美奈波(すみなわ)と読ませています。説明文は漢文で書かれていますが、故松村貞次郎先生の著書の『大工道具の歴史』に、その漢文の説明がなされています。「穴をうがち墨をためてその中に糸を潜らせ、この糸を弾いて描く道具」であり材は「桑を以って上と為し欅これに次ぐ」と説明されています。 岐阜県の大塚佑二さんという材木商が『墨壷』という著書を1987年に写真入りで188点の墨壷を解説付で発行いたしました。 昔の大工の自作である墨壷には職人それぞれの思いで彫刻が施されていて、見る人の心を喜ばせてくれますと書かれています。著者の大塚さんは1970年の頃より古い墨壷の収集を始め「大塚集古資料館」を開設して墨壷を数多く展示いたしておりました。大塚さんは古い墨壷を深く愛し、研究されておりましたがこれからという時に惜しくも亡くなられたのでした。その後、「大工集古資料館」の墨壷は千葉県の「国立歴史民俗博物館」が引き取り展示しています。それらの墨壷の中には欅材の他に陶製、真鍮製、竹製など大変に珍しいものが数多くあります。中でも韓国の李朝時代に作られたという白磁製の墨壷があります。花と蝶の図柄をあしらった見事なものですが、糸車がないので実用品ではなく装飾品として作られたのではないのかと感じました。李朝時代に作られた木製の墨壷には、虎、亀、鶏、龍、鳥など大胆な作りの中にも優れた造形美を持っております。李朝というのは今より約600年の昔、李成佳が高麗の後、王位につき、約500年の長い間栄え、27代も続いた王朝でした。 お隣の国である中国の雲南省のあたりの大工が使っている墨壷は水牛の角で作られたものが多く、尻割れ型となっております。神戸の竹中大工道具館には中国製の「片袖型」「獅子型」「尻割れ型」「魚型」と珍しい墨壷が数多くあります。 戦後、我が国にもアルミ製の墨壷が売り出されたことがありました。冷たくて手触りが悪いと言って大工職人はあまり使いませんでしたが、今残っているとすれば骨董の価値があります。 墨壷の美しさは何といっても長年大工と共に汗と墨にまみれて使い込まれて黒光りしたものに本当の美しさがあるのです。どんなに美しく彫刻されている墨壷でも真新しいものではその美しさはありません。最近、販売されている便利なプラスチック製の墨壷では、いくら大工が使い込んでいても真の美しさはありません。大工の手作りの墨壷が消え去っていくのは日本建築の衰退の表われであると私は思います。しかし今も名棟梁たちに出会うと若い頃に自作した墨壷を長年愛用し、黒光りした墨壷を片手に松丸太の上具材と取り組んでいる姿を見かけることがありますが頭の下がる思いがします。 墨壷の墨池に入れる真綿を昔は「ネバシ」と呼んでいました。ネバシと呼ばれる墨綿は墨の銜くくみも良く昔から好評でしたが、私の親方は決して真綿を使いませんでした。墨糸に細い絹糸がからみ付き正確な墨打ができないと言うのがその理由でした。親方は古い絹織物を木槌でよくたたき、一晩水にさらして墨綿に使っていました。親方の若い頃には、ヨモギの葉を乾燥し、よく叩いてヨモギ綿を作り、それを墨綿として使っていたそうです。 私が弟子の頃には墨池に入れる墨は「削り墨」を寒の水で溶かし墨液として使っていました。削り墨には膠が多く入っているので、木材に墨打ちすると墨線は何百年たっても消え去ることはありません。それは墨に含まれている膠のおかげなのです。 墨と膠の話をすこしお聞き下さい。昔の墨作りの産地は紀州の藤代、近江の武佐、丹波の貝原、山城の大平などでしたが現在では奈良と紀州に墨作りの業者がすこし残っております。墨は古い昔、中国で発明され、飛鳥時代の推古天皇の頃、高麗の僧である曇微が紙の製法と共に我が国に伝えたとされています。墨の種類は固体墨と液体墨で、色では黒、朱、白とあり、黒墨には、松煙墨、油煙墨、工業煙墨の三種類があります。高級な松煙墨の煤は古い肥松を燃やして採取します。油煙墨の煤は、なたね油、ごま油、大豆油などを燃焼させて煤を作ります。工業油は軽油、重油、コールタールを燃焼させて煤を作るのですが下等品とされています。墨作りは、寒い冬に煤と膠を混ぜ合わせ、香料を加えて作るのですが、重労働であると言われています。 膠は動物の骨や皮、腱などを煮て作るのですが「ゼラチン」と呼ばれるのは膠を精製したものです。膠は家具職人や建具職人が木材の接着材として昔から使っていました。この膠の接着剤の歴史は大変に古く古代エジプトで発明されて使われていました。また中国の

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