大工道具に生きる / 香川 量平
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和漢三才図会より釿始めの儀器(竹中大工道具館蔵)20チンギスハーンは弓の矢に膠の接着剤を使っていました。中国で昔、膠を接着剤として発明したのは、中国の大工の神である魯般であると言い伝えられています。魯般は魚の浮袋を乾燥させて集め、これを煮て膠を作ったのが接着剤の始まりとされています。墨糸は白い絹糸です。大工は構造材の墨掛に27番を使い、造作には15番の細目を使います。絹糸にはすべて撚りがかかっています。撚り直しをしないと正確な墨打ちができません。前場幸治さんの『棟梁よもや話』の中に撚れ直しの話があります。絹糸を深井戸に吊るしたり、きれいな川に絹糸を流して撚り直しを行ったとあります。(注:“撚り直し”とは余分な撚りを取ってからみつかないようにすることです) 墨打ちには直線ばかりではなく「投げ墨」という技法が古くからあります。カーブ状に墨打ちするのです。何と言っても投げ墨の上手なのは木造船を作っていた舟大工でした。 我が国の木造建築には工事を進めて行く過程で数多くの儀式があります。昔、家を新築するとなると、棟梁と施主が山に入り、家の上具材に使う松の木を下見に行き、梁や中引に使う木を見定めて、伐採する前に本木祭の儀式を行います。そして家を建てる土地に神官を呼び、産うぶすなのかみ土神に土地を借りる地鎮祭を行います。大工の棟梁は木組にかかる前に、床の間に大工の三宝である、指金、墨壷、釿に紅白の水引をかけ、祭神の手ておきほほいのかみ置帆負命と彦ひこさしりのかみ狭知命に工事の安全を祈願した後、酒肴で祝ってくれます。これを「釿始め」と大工は呼んでいます。大きな堂宮建築や新年の釿始めは、大勢の見物人が見守る中、棟梁は黒い烏帽子をかぶり、白装束に身を固め、墨打と釿立ての儀式を行います。その儀式に使われる、指金、墨壷、釿は実用品ではなく絢爛豪華に作られています。これらの儀式用の一揃を儀器と呼び、全国各地にこの儀器がまだ残っております。その儀器の中で有名なのが日光東照宮の本殿の釿始めに使われた儀式用の一揃であります。この儀器は国宝の指定を受けた大工道具です。この国宝の指金と墨壷には金メッキされて徳川の葵の御紋が入り墨壷は尻割れ型となっています。同じ尻割れ型の墨壷である東京芸大蔵の墨壷の方が国宝としての価値があるように私は思います。 香川県の高松市丸の内にある左甚五郎美術館の館長は左甚五郎利勝の第七代、左光こうきよ挙氏で数多くの彫刻がある中に初代左甚五郎利勝の作と伝えられる龍の彫刻入墨壷が二挺あり、墨壷の材質は欅と思われ、黒光して風格があり年代の古さを思わせますが、実用品ではなく装飾品の趣があります。甚五郎は兵庫県の明石に生まれ、父の死後12才で京都の宮大工、遊左与平次に師事し、その後、宮彫師の名人として各地を廻り名彫刻を数多く残しています。後、高松藩のお抱え棟梁になりましたが、大酒飲みの彼は40才の若さでこの世を去っています。(削ろう会会報12号 1999.12.24発行)

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