その10 墨指の話21 「削ろう会」の皆さん、明けましておめでとう御座います。今年は「辰」の年、星でいえば比極星、いずれから見ても明るい兆、物みな一斉に奮い立つ年であります。 「削ろう会」の会報に是非、大工道具の話をのせて下さい、と言うお便りを故村松貞次郎先生より生前にいただいておりました。私は先生の言われた通り、今年も老骨に鞭うち一生懸命に頑張りますのでよろしくお願いいたします。 古い昔から大工道具の中で一番大切なものといえば「指金、墨壷、釿ちょうな」で、その三点を大工の三宝とか三種の神器と呼び、大切に取り扱ってきました。しかしその三点の中に「墨指」があります。墨指は墨壷と夫婦であると昔から言われ、一心同体であるため、大工の三宝の中に墨指が加えられたのでしょう。 墨指は墨壷と共に、新築する家の木材に大工が墨掛を行う時の竹製の筆記用具なのです。眞竹を篦へら状に割り、先端を約3寸勾配に切り、細い割込を入れて、墨を銜くくませて線を引く。勾配に切った反対の墨と呼ばれる部分は細い棒状とし先端を砕きて墨を銜せ、竹筆とし、木材に記号や文字を書き入れます。 墨指の作りは、大工の棟梁によって形はさまざまですが、私が親方から教えられた墨指作りは次の通りであります。眞竹とも、苦竹とも呼ばれる竹の3年ものか4年ものの身の締まった節合いの真直に育ったものを使います。新潟県や秋田県の寒地に生育したものが良いといわれています。高知県の台重鉋専門店の示野護勝さんは温泉の出る山地に育った眞竹が良いと言います。 幹が太く、肉厚の孟宗竹は一見、良さそうに見えますが墨指には適しておりません。皮面が柔くて磨滅が早いので、大工の間では昔から「孟宗竹で墨指作るな」と言い伝えられています。 古家を解体していると眞竹のいい煤竹が見つかることがあります。が、10本中1本しか墨指には適しておりません。いい煤竹で墨指を作ると先端部分が固く摩耗が少なくて長く使用できるものがあります。 墨指の長さは7寸5分としますが、この理由は、親方の説明によると、指金の裏の内目に刻まれている、日本式の魯般尺の「官」という吉寸にあて嵌まっているからだそうです。 巾は中央部で4分とし、先端を約3寸勾配に切り落して、24枚に割り込みを入れるのですが、これにも何か理由があるのだと親方は言っておりました。先端部分の割り込みの深さは8分から9分までとし、鋸刃に見られるような鬼歯を先端に作ります。そしてその鬼歯に返しを付けます。鬼歯の後の割り込みは、薄刃の刃物で一は深く二は浅くと言った具合にし、割り込みの深すぎを防止するため、割り込みの下部を糸で固く結束する必要があります。乾燥した眞竹であれば一晩、水に浸しておくと割り込みは大変楽にすることができます。 昔、香川県の丸亀市で団扇作りの職人に墨指の割り込みを入れてもらったことがありますが、割り込みが深すぎて腰折となり使いものにならなかったことがありました。割り込みを入れた反対側は、墨と呼ばれ、先端部分を細くして木槌で砕き竹筆とするのですが、先端部分を砕く時、決して金槌などを使用しないことです。金槌などで砕くと竹の繊維が切れてしまい、使いものにならなくなります。 墨指が出来上ると、大工は刃物を研ぐのと同じように勾配に切った部分を中砥で研ぎ、仕上砥石にもかけます。そして勾配の刃先をすこし丸く研ぎ上げます。また仕上った墨指の側面に「観世音」と書き付けている大工がいます。これは家の墨掛に間違いをしないよう願をかけたのかもしれません。また古い昔から墨指は「観世音菩薩」の化身であると言われているからです。 大工は使い終った墨指は捨てずに「はやす」と言って讃岐では燃やします。また昔からの大工言葉の中に「女に触れた手で墨指作るな」と言い傳えられています。それほど墨指は昔から神聖な大工道具であったのです。 墨指の先端を約3寸勾配に切り落すのは一般的には右表であり、舟大工、石工職人などは左表が多く見られます。大工が右表であるのは昔から一文字の形に墨指を作れという、言い伝えによるものかもしれません。最近は家の墨掛に水性のボールペンなどを使っている職人を見かけることがありますが、松丸太などの墨掛には、竹製の墨指でなくては使用できません。市売されている墨指には眞鍮製、プラスチック製などがありますが、自分の手作りのものが最高といえるでしょう。 墨指の歴史は古く、飛鳥時代に仏教建築と共に我が国に伝えられたものと思われます。『倭わみょうるいじゅしょう名類聚鈔』という我が国で最初の漢和字書に墨指のことが書かれています。工匠具第百九十七の項に墨 と書き、スミサシと片仮名が付してあります。「蒋魴切韻云、以蔑為
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