大工道具に生きる / 香川 量平
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和漢三才図会より煤竹の墨指22筆日  『音浸和名須美佐之』周赧王時史臣公檀造也時人以竹 書文字今工匠墨 是」と漢文で書かれています。意味は蒋魴切韻が言った、篦を以て筆となし、といわく。音は浸、和名はすみさし、周の赧王の時、史臣公檀が造るなり、時の人、竹 を以て文字を書く、今の工匠の墨 は是なり、という意味ですが、周という中国での古代国家は紀元前ですので、墨壷も墨指も、古くから中国には存在していたことを伺い知ることができます。 また江戸時代の中期に書かれた『和漢三才図会』の第二十四巻の百工具の項に墨壷と墨指が、絵図入りで書かれています。絵図は、先端を平に切ったのと勾配に切った2点が書かれ墨  の文字に平仮名で、すみさしと書かれ、片仮名で、モツツインと書かれている意味がわかりません。漢文での説明は「倭名類聚鈔」と同じ意味のことが書かれています。 神戸の竹中大工道具館の会館10周年の記念企画展で、中国の大工道具が数多く展示されている中に、竹製の墨指がありました。形はさまざまでしたが、我が国のものと同じであると感じました。私が中国の西安市で見た大工の墨指は竹製で、我が国のような見事なものでなく、割り込みも浅く、綫筆(シエンピー)と呼んでいました。また雲南省のシーサンパニナでは、水牛の角で作った墨壷と墨指があります。墨指はしなりがあり、思ったより書きやすいと言う印象を受けました。 我が国の大工の棟梁は、松丸太に墨打ちをする時、良く墨指を銜えていることがありますが、これは忍者が巻物を銜えているのと同じで真剣そのものなのです。曲りくねった松丸太にうまく墨打ちができるか、恐怖と緊張の一瞬なのです。私も昔、松丸太の墨打ちの折に墨指を良く銜えたものです。しかし不思議に墨指を銜えると、観世音菩薩のおかげか見事に墨打ちができるのです。 昔から大工が作った墨指には御正念が入っているという話が言い伝えられていますが、呪いの墨指という恐ろしい話があります。昔、親方から聞いた話ですが、墨指の割り込みが24枚というのは、目に見えぬ職人の一つの武器であり、24枚に割り込んだ時、観世音菩薩が墨指に乗り移っているのだそうだ。 「昔、悪奉行の死後、四十九日目の朝方菩薩の夢を見た。棟梁の墨指を借りた。別邸の大黒柱の柱根に丑寅の方位から墨指を打ち込んである。奉行も悪行を後悔し、やっと仏になれた、早く墨指を抜き取ってやれ。棟梁は別邸へと急いだ。夢のお告げ通り、自分の墨指が打ち込まれているではないか。棟梁は満身の力を込めて抜き取り、般若心経を唱えながら『呪いの墨指』を燃やしてしまった。この昔話は、棟梁と奉行との金銭のトラブルから起きた話だそうだが、奉行の腹には24枚の不明の傷跡が残っていた」と言う恐ろしい話だ。最近、建築設計士と大工との間で金銭のトラブルが多くあるが建築設計士たるものが金銭に関する手出しは無用であろう。墨指が恐ろしい話となってしまったが、おゆるしを。(削ろう会会報13号 2000.02.14発行)

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