大工道具に生きる / 香川 量平
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和漢三才図会より24で言い伝えられています。「櫃ふり」と呼ばれる不良品があるからです。釿は櫃を入れかえることで、手斧にも釿にもなり使用できるので、完全な正四角の櫃が大切なのです。また松丸太の上具材の墨掛けの基準である「矩かなば場」と呼ばれる部分をはつる時、水平にはつったと思ってもはつれておらず、二度、三度と繰り返していると、後ろから「ピシャッ」と親方の指金が首筋に飛んでくるのです。水平にうまくはつれないのは釿の櫃ふりが原因しているからです。そんな訳で大工は釿刃の右と左の刃ぶりがないよう細心の注意をはらっていたのです。 四国の大工が「瓢箪丈」と呼ばれる銘の釿を好んだのは釿の櫃が意外と正確に作られていて「櫃ふり」が少なかったからでした。また弟子の「瓢箪正」の釿も好評で現在も多く使われております。四国にはもう一つ釿にまつわる不思議な話があります。私の親方は釿の刃跡を嫌うのは「厠の神」であると言って、便所の梁や中引の釿の刃跡は、すべて丸鉋で削り取らせた。その理由は聞きもらしているが「厠は死の世界である、厠に入る時は気をつけろ、必ずノックするか咳払いをしろ、裸や洗い髪で厠に入るな、厠の壷の中に唾を吐くな」などと言って極度に厠の神を恐れていました。厠の神が釿の美しい刃跡を嫌うのはなぜでしょうか。 江戸時代の中頃に大阪の医者である寺島良安が『和漢三才図絵』を書き表しました。その辞書の百工具の頁に「釿」と書いて「ておの」と読ませ、和名で「天乎乃」と書いています。「按ずるに手釿なり。また小釿あり、片手をもって木をはつる。柄は楡をもって上となす。槐えんじゅ、欅これにつぐ」と書かれています。小さな片手釿は昔からあり、現在も棒屋と呼ばれる店で農道具を作る木工職人が使っていることがあります。 寺島良安は釿の柄は楡か槐か欅であると説明していますが、現在では、ほとんどが槐の木を使用しております。戦後、竹を張り合わせた釿の柄が出廻ったことがありましたが、「手の汗を退かず、手に与える衝撃がきつく、掌がマメだらけ」と言う大工が多くいて、結局、使いものになりませんでした。 釿の柄には昔から使ってきた槐の柄が好評で、今もほとんどの大工は槐の柄を使っています。釿は刃も大切ですが、やはり釿の櫃と柄の良質なものが一番のように思います。槐の柄は粘りが強く、木をはつる時の衝撃が少なく、使い手に響かない。そして柳の木のように、しなりと粘りがあり、使い手の手の汗を槐が木が吸収するため、手が滑りません。これらを四国の大工は「しなり手」と昔から呼んでおります。使いやすいと言う意味です。 昔から大工の一番きつい仕事のことを「一錐、二鋸、三釿」と呼んでいます。釿の「はつり仕事」は大変な重労働ですし、大変な危険が伴う仕事なのです。しかし釿の柄に使われている槐の木には危険な「はつり仕事」から大工を守ってくれる利点を持ち合わせているのです。槐という文字は木偏に鬼と書きますが鬼は「鬼才」といって、人並み以上に優れていて、才気のすぐれた気性で、才知のすぐれた働きをしてくれる、という意味を持っています。槐の木は中国原産ですが、現在では我国固有であると思い込んでいる人が多くいるそうです。現在、大工が使っている釿の柄の槐の木は、ほとんど北海道産が多く、北海道ではアイヌ人の墓標に槐の木が使われているそうです。 お隣の国、中国では槐は出世の木とされています。中国の故事の中に「南柯の夢」という伝説があります。古い昔、唐の国に淳宇分という男が、庭の槐の木の下で眠り、夢の中で槐安国王に迎えられて南阿郡という地方の太守となり、その地方を20年にわたって治め、出世した夢を見た伝説です。「槐安の夢」とも言われています。中国では槐は出世木で、庭に槐を植えて子孫の栄達を願うことを「三槐を植う」と、満久祟磨氏の著書『同名異木のはなし』の中に書き表されています。槐の話が続きます(削ろう会会報14号 2000.05.23発行)

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