大工道具に生きる / 香川 量平
25/160

釿と槐の柄著者の釿5挺 その12  釿の話(2)25 古い昔から大工の三宝といわれる釿の柄にまつわる話がつづきます。 江戸時代の中頃に書き表された『和漢三才図会』の百工具の項に「按ずるに釿は手斧なり。また小釿あり、片手をもって木をはつる。柄は楡をもって上となす。槐、欅これにつぐ。」と書き表されています。ここに書き表されている楡は「ハルニレ」のことで今も東北地方や北海道に多く育っています。アイヌ語でハルニレを「チキサニ」と呼んでいます。この意味は「自分たちが火を作り出す」ということで、アイヌの民話にハルニレの女神が雷神の子を宿すという面白い話があります。この民話ではハルニレが発火材であることを語っています。昔、アイヌの人々はこの木で火きり杵と火きり臼を使って火を起こしていたのです。 大阪の医者であった寺島良安は、釿の柄はハルニレが最高であると説明していますが、木の性質をよく知っていたのでしょうか。古老の大工から楡の木は釿の柄には不向だと聞いたことがあります。長時間使用すると掌の中が焼けてくると言うのです。「錐の柄は桧は使うな」という昔からの大工言葉がありますが、これと同じで錐の柄には朴の木が使われています。桧は掌がやけるのです。 欅も釿の柄として私の親方が使っていたことがありましたが、木が掌の汗を退かず、手に与える衝撃がきつく、掌が焼けてくるので、弟子たちは誰も使いませんでした。欅という名前の由来は「木の杢目が大変に美しいので、けやけき木(美しくて尊い木)」と呼んでいたのが欅という呼び名になったそうです。古い昔には槻と呼んでいました。今もいい欅を「こつき欅」と呼び、悪い欅を「石げやき」と呼んでいます。楡や欅がなぜ釿の柄として使われたのかと古老の大工に聞いてみると、釿の柄を直角に曲げるのに、農家の堆肥の中に三ヶ月程入れ、堆肥の熱で木が大変に柔らかくなった頃、弟子たちに手伝わせて直角に曲げ、葛で縛って乾燥させて作っていた。楡や欅は柄を直角に曲げるのが意外とたやすかったからでなかったのか、と古老の大工が答えてくれました。欅の木は熱すると大変に柔らかくなる性質を持ち合わせているのです。欅材で作る大きな木枠などのホゾ差しの折には、ホゾをトーチランプなどで温め、柔らかくしてホゾ穴に打ち込むと、うまい具合に組み合わすことができるのです。 「ゆすらの木」を釿の柄として使っている大工がいますが調子は上々とのことです。徳島県「祖谷のかずら橋」かけ替え工事の折に、釿の柄に最適のかずらが残っていたのを知人の大工がもらい受け、釿の柄に仕込み、今も使っています。釿の柄にはいろいろとありますが、何といっても槐の木(芯持ちの若木の丸棒)が最高です。しかし購入する折には握り手のところが約1寸丸(径)であること、柄の天端の曲りも約1寸径のものを選ぶのが大切です。槐の木は木材をはつった折、手に与える衝撃が大変に少なく、掌の汗を吸収してくれ、長時間使っても手はやけず、掌に「マメ」もあまりできません。しかし釿はつりの仕事は油断が禁物ですし、大変な重労働であるため、体調をととのえてかからなければなりません。 香川県木田郡牟礼町の櫻製作所に勤める椅子作りの名人で、削ろう会の会員である安森弘昌君から、槐の木にまつわる伝説話を聞きました。玄界灘に浮かぶ孤島「沖の島」は今も女人禁制。島の氏神である宗像大社で奥津宮の祭事を司る神官も、上陸するには全裸で沖の島の冷たい海水で禊を払わねばならないのです。宗像大社の祭神は「田心姫」「端津姫」「市杵島姫」の三女神で島から一木一草なりとも持ち出すことができないという神の掟がこの島に言い伝えられています。 昔、この掟を知らない漁師の一行が、海水で禊を払い参拝して下山の途中、一人の船大工が釿の柄にしようと槐の木を持ち帰ろうと船に乗りました。しかし船は島をぐるぐる回るだけで一向に帰路が定まりませ

元のページ  ../index.html#25

このブックを見る