大工道具に生きる / 香川 量平
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ポナペ島の手斧型貝斧(国立民族学博物館蔵)つんぼ釿ヒスイの儀礼用手斧型石斧(国立民族学博物館蔵)30グリ目」を入れることがありました。このナグリ目を入れるのは、親方本人が釿を研ぎすまして慎重に行っていました。釿の刃跡がきれいに揃っていて見事なものでした。その時使った釿は、3つの点が刻印された通称「ツンボ釿」でした。 親方の説明によると、ナグリには三つの方法があり「山ナグリ」「化粧ナグリ」「突ノミナグリ」と呼び、山ナグリは栗の木や朴の木を与岐を使って六角形に加工したものを栗六角山ナグリと呼びます。化粧ナグリは丸釿を使って六角形に亀甲ばつりにしたもので、栗六角化粧ナグリと呼びます。また特殊な突ノミを使ってナグリ面を作り出しているのを突ノミナグリと呼ぶのだそうですが、ナグリ面が整いすぎているので、見た目は美しいのですが、与岐や釿のナグリの方が味があると言われているようです。これらの技は茶室の床柱、落掛、手摺、門柱などに使用されています。材質は主に栗の木を使用するのですが、丹波栗が最高で美しく、木曽や九州などのサワ栗などもありますが二番手のようです。閑話休題 我が国の各地の古墳から数多くの石斧や、鉄斧が出土しています。古代の縄文人は鋭利な石材を加工研磨し、粘りのある木の柄に装着して石斧を作りました。その石斧を使って木材の伐採や加工を行いました。そして家屋の建築や船など、また農耕の道具作りにも役立ち、石斧は万能の道具であったのでしょう。弥生時代には鉄の出現により、鉄斧を始め、数多くの鉄器が作られ、高床式の住いや倉庫などの建造物を作り上げるのに大いに役立ったことでしょう。岡山県上道郡幡多村の金蔵山古墳からは古墳時代の前半のものといわれる合ごうす子が中央石室の副室から出土し、中には数多くの鉄器類が納められていました。それらの鉄器はすべてが木工具でした。釿、鑿、ヤリカンナ、斧、鋸、刀子、錐と豊富で、見学する人の目を驚かせています。そこから出土した木工具は現在、倉敷市の考古集古館に展示されています。これらは現在の大工道具の粗型であろうと思われます。出土した釿は、松山市の白鷹幸伯さんが鍛えた古代釿と同型で柄を装着する穴の部分が丸くなっているのが特長です。 世界の各地には形や姿は違っていても、釿と名の付く木工具が数多くあります。大阪府吹田市国立民俗学博物館には、ミクロネシアのマーシャル諸島で使われていたクジラの骨で作った釿があります。柄は木製で、木の枝のところを利用しています。またミクロネシアのポナペ島で使われた手斧型貝斧があります。刃がアコヤ貝で作られ、同じく柄は木の枝が利用されています。ポリネシアのニュージーランドで使われた手斧型石斧は鋭利な石を加工研磨し、木の枝に石斧を葛で頑丈に固定しています。同じくニュージーランドでマオリ族の首長階級のみが使用したという儀式用手斧型石斧は斧身に緑色のヒスイが使われ、羽かざりがあります。また台湾省立博物館には、玉斧と呼ばれる手斧が展示されていました。この玉斧も昔、何かの儀式用具として使われたのでしょうが、何の説明もありませんでした。何といっても面白かったのは中国製の重くて柄の長い釿でした。山西省の洛陽市の東の郊外にある白馬寺で、中国の大工が使っていた釿を使わせてもらいました。中国の大工が「この男は釿を使ったことがあるのだろう」と話しかけたので、「この男は大工の棟梁だ」と通訳が紹介してくれましたが、棟梁という意味が通じなかったようでした。その釿は重くて日本の大工には不向きでした。(削ろう会会報18号 2001.06.26発行)

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