大工道具に生きる / 香川 量平
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 その15  釿の話(5)31 私は大工に弟子入りして、半年を過ぎても釿はつりが上達せず、毎日兄弟子にからかわれ、何とか上達する手立てはないものかと思案の毎日でした。 12月30日、親方が今日は「釿仕舞い」だというので、仕事場を清掃し整理整頓し、親方の大工道具をはじめ、すべての道具を油拭し、墨壺は墨池の墨綿を洗い清めて寒の水で溶かした削り墨の墨液を入れて親方に手渡しました。親方は釿刃を研ぎ澄まして、見事な曲りの柄を仕込み、指金、墨壺、墨指、釿を三宝にのせて、御神酒と共に床の間に供え、掛軸は聖徳太子が指金を持ったお姿のものを掛け、正月の準備を手伝いました。太子の前に供えられた親方の釿を見た時、その美しさに感激し、そのような釿を新調すれば上手にはつりが出来るのでないかと考えたのでした。研ぎ場では兄弟子が正月がきたからと言って釿を研いで、顔をしかめながら髭を剃っておりました。 夕方、手入した大工道具に親方は御神酒を供え、大工道具に一年間のお礼をと、言って祝詞を奏上し、一同そろって御神酒をいただきました。昔、名工と謳われた宮彫師の左甚五郎といえども、大工道具がなければ平凡な一人の人間にすぎないのだと親方は言って「釿始め」「釿仕舞い」についての説明をしました。「これらの言葉は古く縄文時代に『石斧』が万能の道具であった頃からの名残りの言葉だと言って、年末の『釿仕舞い』には大工道具に対してお礼を忘れるな」と忠告しました。 我が国には国宝の建造物が数多く残されていますが、建造物を手懸けた棟梁の名すら不明なものが多く、大工の片腕となって建造物を作り上げた大工道具は露と消え去っています。私が今お礼を言いたいのは大工道具を鍛えた刃物鍛冶の皆さんです。鍛冶たちは自分の鍛えた刃物が、大工と協力して美事な建造物が平穏無事に建て上がることを夢見ているのです。 「鍛冶たちが一鎚、一鎚に精魂こめて鍛え上げた刃物には鍛冶たちのお正念が宿っているのだ、そのお正念というのは『式神さん』という大工道具に宿るという神様だ」と教えてくれたのは大阪の島という古老の宮大工の棟梁でした。「この式神さんという伝説話は、棟梁の先代から聞いた話で、職人連中も良く覚えておいてくれ」と夕方、現場で御神酒をいただきながら聞いた話でした。 「式神さんというのは、古い古い昔のこと百済の国(今の韓国)より多くの優秀な建築技術者(工人)が我が国に招かれました。その当時の日本の工人は堀立柱の建築方式でしたが、渡来した工人たちが建立しようとする建物は礎石の上に柱を立てるという新しい方式でしたので日本の工人たちは驚いたのでした。渡来した時、彼等の道具箱の中には見事な大工道具が一杯に詰っていました。日本の土地にも言葉にもなじみ、理解できるようになり、日本の工人たちは彼等の指揮のもと、真新しい工法の建物を手懸けたのでした。しかし残念なことに彼等が百済から持参した大工道具が一つ減り二つ減りと紛失していきました。無断で借りた日本の工人たちは、その道具を正目手本として刃物は鍛冶屋に鍛えさせ、木の部分は自分が作り、正目手本とした道具より遥かに見事なものを次々と作り上げて行きました。しかし驚いたことに、無断で借りていた大工道具は複製されると、いつの間にか渡来した工人のもとにきっちりと返されていたのです。それを百済の工人は少しも驚きませんでした。驚いたのは日本の工人たちでした。無断で借りたことを深く詫びて複製したことを伝え、それからお互いの交流が始まり、『規矩の技』も教えてもらったのだろう」と島棟梁は話を続けました。 「百済の国から渡来した工人の中には『陰陽道』を会得した一人の棟梁がいました。棟梁は目に見え 『式神』を使って、大工道具が複製されると、日本の工人に持ち帰らせていたという面白い話ですが、その棟梁は、日本の鍛冶屋に大工道具を鍛えると『式神』が宿る呪術を教えたので、今も大工道具の刃物を鍛える鍛冶のお正念というのは『式神さん』であり、大工道具を愛する人は『式神さん』によって仲良くなり、この神によって人々が驚くほどの見事な名建築が出来上るのだ。大工の相棒である大工道具を粗末にするな、大工道具なしで大工は生きて行けないのだ」と島棟梁は、私の親方が言っていた通りのことを職人一同に聞かせたのでした。 この式神さんの話は何十年も昔に聞いた話で、今迄に数多くの人々に話したのですが誰も信用してくれませんでした。しかし唯一人奈良の「鉋博士」であり、色彩デザイナーである松田豐さんが、この話を信用してくれました。伝説話にすぎませんが、実のところ不思議に大工道具を愛する人が集まって、大工道具の話がはずむと、見知らぬ人ともすぐ仲良くなり、気心が溶け合い、数々の大工道具についての知識を得ることができるのは何とも不思議で「式神さん」の取り持つ

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