うす掘りちょうな釿の伸びた柄を曲げる34が磨滅して使えなくなると鍛冶屋に依頼して「さい掛け」を行います。新しい鋼を鍛接して釿刃を再生させるのです。農家の農道具も刃先が農作業によって磨滅して使えなくなると「さい掛け」を行います。越後などでは「先掛け」とか「焼付け」などと呼びますが、「歳掛け」「才掛け」とも呼びます。いい鋼で「さい掛け」した釿刃は新品の七割ほどの値になると白鷹さんは言っています。 江戸時代の初期に黒川道祐という学者が『雍州府志』という書物を書き表しました。内容は漢文で書かれています。「手斧、工匠之を用いる、径五寸余りの刃に曲木二尺余りを以て柄となす。脚で材木を踏まえ、両手を以て手斧を持ち、大いに木を削る。是を手斧と謂い、又釿と称す。大和大路の稲荷辺の鍛冶屋が之を造る」と書いています。この黒川道祐は、一説によると実地踏査をしてこないと書物は書き表さないという実証主義の学者であったと伝えられています。雍州とは京都の異名でもあります。竹中大工道具館研究紀要第12号に掲載された論文に沖本弘氏は、『雍州府志』に登場する大和大路の鍛冶というのは、東大寺再建の釿始めに用いられた儀式用の釿に「文殊四郎」という銘が刻まれているので、昔から打刃物の鍛冶技能集団が奈良にいたのではないかと説明しています。 昔から釿を使う職人は、宮大工、数寄屋大工、家大工、船大工、車大工などで、木臼や木鉢、太鼓の胴などのはつりに使う釿は「うす掘りちょうな」とか「手じょんな」と呼ばれる片手使いの小さな釿ですが、船の櫓を作る釿に櫓ろうやちょうな屋釿がありますが、最初この名称を聞いた時、牢屋(昔、囚人を収容するところ)で仕事をする「青屋大工」が使う釿かと思いました。「青屋大工」というのは昔、牢屋の建築や、張り付け台、獄門などの用具を作っていた大工のことです。 倉敷市の砥石の先生であった長原先生が生前、私が研ぎ上げていた釿刃を見て「見事に研いでいるが、どのような方法で研いだのか」と聞かれたので、「釿刃を固定しておき、木っ端砥石を釿刃の上にのせて、砥石を動かして研ぐと意外にうまく研げるのです」「その研ぎはいい方法だ」と言って実際に研いでおられました。鉋を研ぐように釿刃を動かして研ぐと、いい砥石の面がひどく痛むので、先の方法が良いと思います。特に亀甲ばつり用の蛤釿などは、この砥石を動かして研ぐ方法、別名「支那研ぎ」と呼ばれる、釿刃を砥石の上で廻しながら後に引いて研ぐ方法があります。 昔、鉞や斧、釿の柄のことを □えぶり とも呼んでいましたが、釿の柄は現在ほとんどが槐の木が使われています。への字に曲げるのは人工的にやっているので、柄が伸びて釿使いの折、木に立ち込み使えなくなることがあります。そのような柄の状態を大工は昔から「ノカ」と呼んでおります。また柄の曲がり過ぎのことを「カギ」とも呼びますが、この状態も使いものになりません。一番いい調子の釿仕立は昔から言われている「4分こごみ」の状態です。 釿の柄が伸びて「ノカ」になり、使いものにならなくなったら、修復する方法が昔から大工の間に言い伝えられています。写真のように、釿刃をロープで固定し、柄の先端よりロープで引き付けます。「トーチランプ」ですこし遠めに柄を暖めます。そして柄の下端に石鹸を十分に塗り、ローソクを点して柄の下端より時間をかけ、ローソクの火を移動しながら柄を焦がさないように暖めます。柄が暖まり柔らかくなったら、柄の先端からのロープを軽く引き付けます。定規を当て、四分こごみの状態でロープを縛り一晩おきます。柄の下端は石鹸によって痛んでおりません。柄が「カギ」であれば一時間程冷水に浸すと柄は伸びます。 釿使いは昔の諺の通り、「習うより慣れよ」で長い修練が必要なのです。「油断は禁物」釿使いは決して心をゆるしてはなりません。(削ろう会会報20号 2001.12.24発行)
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