大工道具に生きる / 香川 量平
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               明治二十六年工学士大原順之助氏が出雲大社境内巡拝の際発見したもので、これは石器時代の遺物で、雷雨等により土砂が流出して露出し発見されたことがあるため雷斧という名称がある。(展示品説明文より)「天狗の鉞」 雷斧(石斧)38 その18  天狗の鉞 私が小学校に通っていた幼い頃、家に腰の曲がった「コマ婆さん」という昔話が上手でお人好しの祖母がいて、いたずらをしたり弟たちを泣かすと「お前、狗ぐびん賓さんに連れて帰ってもらうよ」とよく叱られていました。「狗賓さんとは誰だ」と言ったら「狗賓さんとは天狗さんのことだ」「天狗さんが何だ」「怖くないのか、天狗さんはお前の父さんよりもずっとずっと大きくて鼻は高く、顔は赤く、手にはヤツデの葉のような団うちわ扇をもち、一本歯の下駄を履き、背中には大きな羽根が生えていて空を自由に飛び回り、お前のような悪戯者を探しては山に連れ帰っているんだ」「どこの山に住んでいるんだ」「あの正面に見える山が讃岐(香川県)の山で、そのずっと向こうの高い山が土佐(高知県)の山だ、その奥山には大きな杉の木が千本も二千本も生えていて、その杉の枝から枝へと飛び回って暮らしているのだ」「ほう、それはおもしろいや、ぼくもそんな所で天狗さんと一緒に遊びたい」と言ったら新聞紙をかたく丸めて思いっきり頭をポンと祖母に叩かれた懐かしい思い出があります。 古い昔から天狗さんは山の神だと昔の人々は信じ石斧を「天狗の鉞」などと呼んでいました。土つちいかづち雷の雷らいせい声が稲妻と共に鳴り響き、大雨が降って土砂が大量に押し流され、その土砂の中から偶然に発見された石斧を「天狗の鉞」とか「雷らいふ斧」などと呼んで、天狗が山の中で使っていて忘れていったのだと昔の人々は思っていました。我が国には昔から「天狗ばなし」の伝説が各地に数多く残されています。 東京農大の星野欣也先生の話によると、富山県の五箇山村に古い昔、天狗が運搬中に空から取り落としたという伝説の「大鋸」が一いちげん鉉あるそうです。大鋸というのは二人挽きの立挽鋸で、全国各地にあまり残されておりません。天狗というのは古い昔、中国大陸や韓国から高度な文明や、すぐれた技術、また数々の民具(大工道具も含む)を我が国に伝えた人々ではないかと私は考えています。 しかし、ある古老が「天狗とは雷神の子供である」と私に言ったことがあります。四国や中国地方では落雷のことを「アマオル」と言って「天降る」天の余った力が地上に降りてくるのだといって「アマル」とも呼んでいます。特に山の立木などに雷が落ちると、天の余った力がその木に宿っているのだ、と昔の人々は信じ、晴天になると雷の落ちた木を探して、買い求める人もいたのです。 もう30数年も前のことですが農家の施主から、入母屋造りで八尾建ての新築依頼を受け、手斧始めも終り、工事に着工した時のことでした。施主が黒くなった一本の松丸太を持参して「棟梁、この松丸太を小梁(大梁の上に二重に使う小材)に組み込んでほしい」と言うのです。「この松丸太は『アマリ木』でないのか」といったら「さすが棟梁だ『アマリ木』とは良く見た、長年池の中に漬け込んでいたので真っ黒だが、虫などすこしも入っておらん、大丈夫だ棟梁たのんだぞ」と言ったのでした。私が大工の弟子の頃、親方が新築する家には必ずと言ってよいくらい上具材に『アマリ木』が一本組み込まれていました。親方は鉄の爪で掻きむしったような痕跡は雷の通った道だが、この木の中には天の余った力が宿っているのだと職人や弟子たちに『アマリ木』の由来を聞かせていました。「この木を上具材の中に組み込めば、その家の家運は日々に上昇して、村一番となり、金銭その他すべてのものが余りくるのだ、そしてその家には落雷の恐れ無しだ」と説明して「お前達も将来、新築する時はに必ず『アマリ木』を使うように」と指示していました。そして不思議なことに私が『アマリ木』を組み込んで新築した家は、すべてが物余りきて現在村一番となっています。 農家の古老から聞いた話ですが、雷のことを「いなだま」と農家の人々は呼び、古い昔から霊的なものと結合して、稲の穂を実らせるのだと信じ、稲妻は「稲の妻」であるから夏の稲妻は稲の実入りが良いと喜び、稲妻は大気中の窒素肥料を無償で稲に配布してくれるので農家の人々は雷を喜ぶそうです。しかし、昔から大工の棟梁は雷を嫌っておりました。堂宮建築の大きな建造物が落雷の被害を受け焼失した話が昔から数多く残されております。我が国の建造物は木造が多いた

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