大工道具に生きる / 香川 量平
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「手置帆負命」と「彦狭知命」今治市にある麁あら香か神社42 その20  柱の神と棟札の神 私が幼い頃、祖母や父母と住んでいた古い家の座敷には7本の黒い柱があって、その中には大黒柱と言う太い柱もありました。お正月になると祖母は、その柱の一本一本にお雑煮と白い御飯を供え、手を合わせていました。祖母が黒い柱を拝むのが不思議で見ていると「お前もここに座って柱を拝みなさい」とよく言われていました。「黒い柱をなぜ拝むのだ」と聞くと「お正月には玄関の柱に雄松と雌松の門松が立ててある。雄松には男の神様が、雌松には女の神様が天から門松を伝って今年の新しい神様がこの黒い柱一本一本においでになっているので拝んでいるのだ」「神様がおいでになって何をするのだ」と言ったら「新しい神様はお前たちや、父さん母さんが悪い病気にかからないように、また家が火事などにあわないよう、守って下さるのだ」と毎年祖母から教えられていました。私の町の氏神様には大おおなむちのかみ己貴神(大国主命の幼少の頃の呼び名)と、八百萬神の中で体の一番小さな神様である少すくなひこなのみこと彦名命の二柱の神が祀られています。大己貴神は、国造りの創造神であり、少彦名命は病難を救う医薬の祖神で医者の守護神でもあります。我が国では古い昔から神様を一柱、二柱と呼んでいます。それを柱信仰と呼んで、柱に神が宿っているものと日本人の多くは今も固く信じています。 木の国に生れ育った日本人は、木の香や美しい木の杢目を好み、木を愛し崇拝しています。そして我が国の一本一本の木には木の神である久くくのちのかみ々能知神が宿っていると信じています。この神は神代の時代に伊いざなぎのみこと弉諾尊と伊いざなみのみこと弉冉尊が風の神をお産みになった次に生れた神で、背は高く美しい男神で緑を好むという言い伝えが昔からあり、大工の棟梁が緑のネクタイを好むのは、そのためだと言われています。余談になりますが鍛冶屋は火の神である火ひのかぐつちのかみ之迦具土神を崇拝し、金かなやまびこのかみ山毘古神を守護神としています。越後の鍛冶、岩崎重義さんは「鍛冶屋は赤いネクタイを好む」と私に言ったことがあります。職人同志、相通ずるところがあるように思われます。この「久々能知神」は大工の棟梁が上棟式のおり、棟札に書き付ける神でもあります。「屋やぶねくくのちのみこと船久々能知命」と書きます。その左側に「屋やぶねとようけひめのみこと船豊宇気姫命」と書きます。この女神は稲の豊穣をもたらし、衣食住を護り、屋根草もつかさどる神とされています。屋船とは家が建っている根源を司るという意味で、この二柱の神は建物を護る神であります。棟札の上部に書き付ける天あめのみなかぬしのかみ之御中主神は古代「造化三神」と呼ばれる神で古事記の上巻に、天地の初めのとき、高天原になりませる神の名は「天之御中主神」と書かれ、我が国土を造った神とされ「大元尊神」とも「国帝立神」とも言われています。 家を護るとされる、もう二柱の神の名は「手たおきほおい置帆負命みこと」と「彦ひこさちのみこと狹知命」で、この二柱の神は技工の神で、山から初めて桧を伐採して宮柱を建て正みやから殿を構築したとされ、共に家を守護する神であります。東京の荒川区南千住にある麁あらかじんじゃ香神社の祭神はこの二柱の神です。昔、江戸の大工棟梁が「日本大工祖神」の碑を建立し、今も石浜神社の境内にこの碑があります。愛媛県の今治城内にも麁香神社があります。神社の入口に建築業祖神、麁香神社と碑が建ち、参拝者の古老に聞くと「麁香とは新しい宮殿の桧のいい香んことだ」と言い、技工の神である「手置帆負命」と「彦狹知命」が祭神であることを知る人が少なくなっていると宮司の話でした。 私に長男が生れ、名付のときに父が「大工の息子には必ず『彦』という一字を名前の中に入れろ、工匠の神であり、技工の神である『彦狹知命』の彦の一字をもらい受けると、大工の跡継ぎ間違いなしだ」と言うので、名前を「光彦」と名付けました。それが幸いしたのか、父の言う通り、大工の跡を継いでくれています。

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