漆喰の懸魚(松に鶴)愛媛県内子町の豪商宅43 「手置帆負命」と「彦狹知命」と共に「規矩」の祖神である「八やごころおもいかねのみこと意思兼命」の三柱の神を三柱大神と呼び、棟札に書き付けられます。この神は規矩の法則を心得て、墨縄の手業を始められたとされる神で、多くの人々の智恵と思慮を一人で兼ね備え智謀にたけ、古代の岩戸神話では天照大神が天の岩戸に身を隠し、世の中が真っ暗闇になったとき、八やおよろずのかみ百萬神を集め、天照大神をどのようにして連れ出すかを考え出したとされ、国土平定の神議の建議者でもあり「八意」とは八方から見て、いろいろな発想を考え出すという意味が含まれています。またこの神は規矩の祖神であるため「大工の三宝」の一つである指金の神であり「手斧初め」や「起工式」の儀式での主神でもあります。棟札にかかれている「産うぶすなのかみ土神」というのは土地を守護する神で、我が町や村の鎮守の神であり、「地鎮祭」のおり、神官が、この神に土地をお貸し下さり、家を守護していただくよう「とこしずめのまつり」を行っています。また棟札には水神である「罔みずはのめのめがみ象女神」と龍神である「五帝大龍神」が火伏として書き付けられます。水神の「罔象女神」は古代神話に登場する神で、「伊弉諾尊」と「伊弉冉尊」が火の神である「火ひのかぐつちのかみ之迦具土神」を産んで陰みほと所が焼け、病み苦しむとき、こぼれ落ちた尿から産れたとされる神で、『日本書紀』には水神「罔象女神」と書かれています。この神の名は、水が走ることを意味し、耕地の潅漑用水でないかとも考えられています。 「五帝大龍神」とは東の「青帝大龍神」、西の「白帝大龍神」、南の「赤帝大龍神」、北の「黒帝大龍神」、家の中央を守護する「黄帝大龍神」で、五方の火伏を司る五柱を「五帝大龍神」と呼んでいます。古来より我が国の建物は木造の建物が主であるため、大工の棟梁たちは、極度に落雷や火災などを恐れ、自分が精根込めて造り上げた木造の建物を水神や龍神に願いを込めて火伏とし、棟札に書き付けたのです。 法隆寺の蔵本である『禺子見記』の三の巻に大工の棟梁は上棟式のとき、大工の三宝である大工道具の「指金」「墨壷」「釿」を使って、火伏の呪を行うことが書かれています。昔、上棟式の折に棟梁は祭壇の前に白い奉書を敷き、中央に墨壷の糸を縦に引き、右に指金、左に釿を、「水」の字になるよう配列して、水神や龍神に木造の建物が永久に火災などに遭わないようにと、火伏の呪を執り行っていたことが記述されています。 私が現在、上棟式の折に行っている火伏の呪は潮が満ちくるとともに、棟木を掛矢で納め、白い御幣を棟木に高々と正面に向けて立て、棟木の下端に「水」の字を奉書に墨書きし、紅白の水引で堅く結び付けています。火伏の呪を、そのように執り行っております。また建物の部材の名称の中には「水」と関係のある呼び名があります。破風板に取付ける「懸げぎょ魚」は拝懸魚とも主おもげぎょ懸魚とも呼びますが、この呼び名は魚を懸げるという意味で、懸魚に彫刻される紋様は魚や渦巻く波の装飾的なデザインが施されます。昔の大工の棟梁は、火伏の呪を心に込めて彫り上げたのです。 昔、古老の大工から聞いた話ですが、京都の寺院の屋根瓦の葺き替え工事で、棟瓦である水板瓦の中より大きな鯉と思われるミイラが発見され、一同が驚いたのですが、これは正しく火伏の呪として水板瓦の中に収めたものであろう、との話でした。また、「蟇かえるまた股」、「蛙股」とも書き、呼んでいますが、寺院の御拝の桁と虹梁の間を斗とつか束で瓦の重量を支えているのが蟇股です。この斗束にはいろいろと装飾的な彫刻が施されているものがありますが、正面から見ると鉄製の鏃やじりの雁かりまた股に似ているし、蛙にも似ています。雁股とは鏑かぶらや矢のことですが、真下に向けられている鏑矢は院内に悪人を通らせぬという呪が込められているのだと、私の親方が言ったことがあります。また蛙股と呼ぶのは、蛙は「田の神」であると農家の人々は今も深く信じているからです。田の神は水神でもあるため、昔の大工の棟梁たちは火伏の呪として斗束に蛙の彫刻を施したのかも知れません。私が子供の頃には蟇ひきがえるがいましたが、家を火災から守るものだと言って祖母に教えられていました。また瓦の棟鬼を作る鬼師と呼ばれる職人たちも、昔から火伏の呪を心得ていて鯱や帆掛船などの棟鬼を作り、水板瓦には鯉や逆巻く波の紋様を掘り付けました。大仏殿などの鴟しび尾を沓くつがた形とも呼んでいますが、魚の尾の形を飾りとしているのです。城の天守にある鯱の棟鬼などもこの鴟尾が変化して作られているのです。木造の建築物を火災から守るための、昔の職人たちの苦労が偲ばれます。(削ろう会会報26号 2003.05.12発行)
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