その22 鋸の話(1)47 私が初めて鋸という道具を手にしたのは肥後守というナイフを持ち歩いていた小学生の頃で、手にした鋸は、隣の鍛冶屋のおじさんから頂いた、薪挽鋸が半分に折れたものであった。しかし、その鋸の歯が小さいので、竹細工などには最適で、夏休みの宿題に、その折れた鋸で作った工作が金賞になった思い出がある。 さて、鋸の歴史は大変に古く、ルーツを探ると、古代のエジプト時代に遡る。第18王朝の時代のものと思われる銅製の鋸が、ピラミッドの石の間から発見されているが、この銅製の鋸が世界最古のものとされている。厚木市の前場幸治氏が、建設大臣であったレクミラ墓の奥室の壁画に鋸を使う工人の姿をカメラに収めている。左手で木を持ち、右手で鋸を使っている。おそらく銅製の鋸であろう。刃渡りはおよそ50cm程のように見える。今より約3500年の昔に描かれた壁画である。 1954年「クフ王」のピラミッドの南側から解体した木造船が発見されている。材はレバノン杉で、クフ王が天国に乗っていく船であったという。現在組み立てられて展示されている。全長約43mで、その当時かなり精巧な細工ができる船大工の道具が揃っていたものと思われる。鋸なども大、中、小とあり、大割から小割まで行っていたのであろう。今より約4600年の昔のことである。またピラミッド周辺でもう一艘の木造船が出土したという。こうした木造船を見ると、細工はよく施され、すべての道具がかなり整っていたのであろう。 西洋の鋸はすべてが押し式であるが、日本の鋸は引き式である。1877(明治10)年9月8日、アメリカ人の動物学者であるエドワード・S・モース氏が、東京で日本の大工が仕事をしている様子を日記に書き残している。「この国(日本)にきた外国人達がまず気付くことの一つに、多くの面で、我々と日本人のすることが逆であるという事実がある。たとえば、日本人は鉋や鋸を、われわれのように向こうに押すのではなく、手前に引く。」1882(明治15)年6月下旬、東京で大工が使っている鋸を見て感じたことが日記に書かれている。「ビゲロウ博士は日本の鋸の歯が柄の近くでは小さく、先端に行くにつれて大きくなっている事実をあげた。それには私も関心を持った。」と『モースの見た日本』という著書にある。縦挽鋸(ガガリ)の歯が手前から次第に大きくなっている理由すら知らぬ人がいるが、アメリカ人の観察力の細やかさには脱帽である。 この理由について私の親方の説明によると、鋸鍛冶(目立職人も含む)と鋸の使い手(大工)との長い闘争から生まれたものであるという。昔、両者の口争いでは、「使い手」の連中が毎日鋸鍛冶に対して「もうすこし食い込むような鋸歯にできないのか」とか「歯の角度をもうすこし立ててみろ」とか言って、長い間の職人同士の議論があって、試行錯誤があって、次第に鋸が改良されていったのだ。また縦挽鋸(ガガリ)の歯が手前より次第に歯が大きくなっているのも、こうした鋸の歴史が積み重なったものである、と親方は言った。 江戸最後の木挽職人である林 以一氏は一人挽である前挽大鋸の使い手の名人である。以前、林さんが「先入れ三寸」という言葉を言ったことがある。長年鋸を使っている職人であれば誰もが「その通りだ」と言ったことであろう。木を挽こうとして最初に鋸を入れるときが一番大切であるという意味の言葉だ。大工は新築する胴差や柱のホゾ付のとき、最初の挽出しを上手にやらないと、胴差や柱ホゾの挽面が曲ってしまい、正確な仕口を作り出すことができない。 縦挽鋸(ガガリ)の歯が手元側で小さく目立されているというのは、最初の挽出しのとき、その小さな鋸歯を使って、手早く挽出せば、ホゾ墨の通り正確な鋸挽ができるのである。林 以一氏の言う「先入れ三寸」という言葉はそのことなのである。ビゲロウ博士やエドワード・S・モース氏が昔、日本の縦鋸挽を見て、手元側で歯が小さく、次第に大きくなっていると疑問を抱いていたようであるが、そこが外国の鋸に見られぬ、日本の鋸の良いところなのである。昔から鋸鍛冶や目立職人は、大工や木工職人にすこしの文句も言わせまいと、細心の注意を払い、楽で正確で早く鋸挽ができるように「切れ刃角」や「切削角」を研究し、改良して現在に至っていることも、現在の替刃鋸や電動鋸に生かされている。今も目立職人は大工などの注文に応じて「堅材」用、「軟材」用と聞きただし、「切れ刃角」や「切削角」を変え、目立を行ってくれる。堅材の黒檀や鉄たがやさん刀木のホゾ付などは「ばら目」と呼ばれる唐木細工用の鋸を使用しないで「江戸目」などで挽くと鋸歯を痛めてしまうので注意が必要である。 神戸市立博物館で、昔「石鋸」を見学したことがある。7cm程の小さなものであった。刃先が鋸歯のようにギザギザになっていた。農作物の穂を摘み取るのに使ったか、動物の獲物の肉を切り裂くのに使ったか、
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