大工道具に生きる / 香川 量平
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武ぶ氏し祠し画が像ぞう石せき大工の三宝  その1  指金の話(1)5 「削ろう会」の皆さん、紙面をもってご挨拶を申し上げます。 最近、電動工具の七つ道具を背負いて、手鉋を持たぬ大工が増えています。私はこの大工を「平成大工」と名付けています。しかし大工仕事の能率は抜群に良く驚かされています。 古い昔から大工の親から子へ、子から孫へと伝えられてきたわが国の建築技術が、能率本位となり消滅して行くのではとの思いから、名古屋の「鉋師」青山駿一さんと、宮大工の杉村幸次郎さんの呼びかけで、何とかしたいという人達が集まってこの「削ろう会」を発足させたのだと考えています。 昔の大工職人は、道具は自分の手の延長であると言って大切に使い、それぞれの大工道具は仏様の化身であると信じていました。しかし現在の大工道具は崖淵に立たされている状態で、一つ、二つと消え去っています。 「削ろう会」を後援して下さっている村松貞次郎先生のおすすめで、この会報に大工道具の話しを書くことにしました。 大工道具も、天下の嶮といわれる箱根の山をさかいに、昔からの古い大工の言い伝えや、しきたり、道具の呼び名や使い方が、全国的に見ると異なっている場合がありますが、私は四国の田舎大工のことゆえ、御了承ください。 古い昔から数ある大工道具の中で、指金、墨壷、釿は神聖であり大切な道具であるため「三種の神器」とか「大工の三宝」と呼び、大切に使ってきました。この三つの道具は「釿始めの儀式」や正月の三が日のあいだ三方に乗せて床の間に飾り、一年の建築工事の安全と、職人一同が事故無きよう棟梁は御神酒を供えて祈願してきました。 現在の建築の工事現場では「起工式」と呼び、地鎮祭と釿始めの儀が同時にとり行われています。 竹中大工道具館の研究紀要第9号に沖本氏は「金剛組の儀式ヤリガンナ」の項に、聖徳太子のころより四天王寺の正大工職を連綿と受け継いでいる金剛家は毎年1月11日に「手斧始め式」を行っている。この式に飾られるヤリガンナがあると説明しています。この金剛組の「手斧始めの儀式」には大工の三宝である「指金」「墨壷」「釿」と「ヤリガンナ」などが三方に乗せられて床の間に飾られるのでしょう。 古い昔から大工の三宝の一つである指金にはいろいろと多くの呼び名がありますが、私は親方から教えられたとおり「指金」と書きます。 指金のルーツを探ると古代中国にさかのぼります。神話の中に伝説上の三人の皇帝がいまして、第一代の皇帝を「伏ふぎ犠」と呼び、第二代の皇帝を「女じょか媧」と呼び、第三代の皇帝を「神しんのう農」と呼んでいます。伏犠は雷神の子でありましたが、皇帝になって易えきの八はっけ卦を作り、網を発明し魚を取ることを人々に教えました。女媧は皇帝になって天の破損したところを五色の石を練って補修し、蘆あしを焼いた灰を積んで洪水をとめ、多くの人間を作り出したので女媧は媒ばいしん神で、子授けの神とされています。 神農は皇帝になって、農業、商業、医業、測量を考え出したという伝説があります。 平成6年10月、神戸の竹中大工道具館の開館10周年を記念して、東方道具見聞録という企画展が開かれ、その中で伏犠と女媧の話しが説明してありました。山東省、嘉祥県に後漢(1~3世紀)の豪族武氏一族が作った石祠がある。その画像石に二人の皇帝の上半身が人間で下半身が蛇で絡み合った姿が彫刻され、伏犠が左手に矩(さしがね)を持ち、女媧が右手に規(コンパス)を持っている。 説明によると、画像石に見られる指金は、長手と妻手があり、三、四、五、の寸法の所に穴があけられて

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