大工道具に生きる / 香川 量平
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大場正一郎の両刃鋸(著者所有)54 その25  鋸の話(4) 我が国の鋸鍛冶が鍛えたものには昔から、ほとんど作者の「銘」と呼ぶ名前が刻まれている。銘には「刻印銘」と「鏨銘」の二通りがある。刻印銘は関西での作者に多く、鏨銘は京都の伏見や関東に多い。また最近の鋸の銘には薬品によって腐食させたものや、印刷されたものがある。鋸枚の薄い「胴付鋸」など、銘の打てないものには背金と呼ばれる補強金物に銘が刻まれているものがある。鋸には、表と裏がある。銘が刻まれている側が表であるが、裏側に打たれている銘もある。この銘は「鋼」の名称や製造番号で、それを「裏銘」と呼んでいる。 表と呼ぶ決め手がもう一つある。鋸に刻まれている銘を上にして置けば、両歯鋸であれば必ず右側が横挽の「江戸目」となる。古い片歯鋸も、右側に横挽か縦挽の歯となるのが鋸の表となる決め手である。 しかし多くの鋸の中には「無銘」と呼ばれる、作者の銘が打たれていないものがある。その場合、どちらが鋸の表であるのかと言えば、両歯鋸の場合、横挽の江戸目が右側となるのが鋸の表である。また昔の片歯鋸で無銘の場合も右側に横挽歯か縦挽歯となるのが鋸の表となる決め手である。その理由を昔、古老の大工に聞いたことがある。大工は「鋸相から言えば右側に鋸歯がくるのが『吉』である」と言ったが、昔の鋸は横挽も縦挽も片歯鋸であったからであろう。また、この古老の大工は「家相でも家の中心より右側に玄関を作るのが『吉』であり、中心より左側に玄関を作るのを『左構え』と言って、村の人々は昔から家人の出世の妨げになるのだと言って凶であると言い、決して左構えには作らないのだ」と言った。 鋸の長さを呼ぶ寸法には「刃渡り寸法」と「呼び寸法」の二通りがある。刃渡り寸法というのは「歯道」という鋸歯の目立てする部分で、9寸鋸(27㎝)といっても1寸(3.3㎝)程少なく8寸(24㎝)しかないのが「刃渡り寸法」と呼ばれる。また鋸の先端の「鬼歯」から「コミ(柄に差し込む軟鉄)」と鋸歯が溶接された部分までの長さを「呼び寸法」という。故吉川金次氏は、昔の鋸は首の部分も刃渡り寸法の内であり、古い遺品の鋸ほど首が短く鍛えられていると説明している。最近の替刃鋸などには溶接された部分がないので、正確な呼び寸法がわからない。 昔の大工が、伏見(京都)や関東方面で鍛えられた鋸の鏨銘とも切銘と呼ばれる鋸を大変に好んだというのは、朝夕に自分の鋸を入念に手入れして、美しい鏨銘を他の職人に自慢の一つとしていたからと言われる。また、昔の鋸に深く刻印した銘に、真鍮を象ぞうがん嵌した「日向孫右衛門」という鋸があったと故吉川金次氏は述べている。その象嵌した美しい鋸を大工は自慢したことであろう。 神戸の竹中大工道具館に、15代中屋久作の片歯鋸と胴付鋸が展示されている。この鋸鍛冶は明治の初め、玉鋼で鋸を鍛えていた江戸の名工である。美しく笹の葉を散らした見事な鏨銘を「笹葉銘」と呼び、私の脳裏に深く焼き付いている。今も江戸の名工が鍛えた鋸を「笹葉久作」と呼び、大工の憧れの的となっている。胴付鋸も見事なもので、玉鋼が薄紙のような鋸歯に仕上げられている。昔、親方から、名工が鍛えた胴付鋸の歯は、背金を外すと、スルスルとガラスコップに薄紙を丸めて入れるようになる鋸歯であれば、天下一品の胴付鋸であると聞いたことがある。 越後三條に初代、故大場正一郎氏という名工の鋸鍛冶がいた。故村松貞次郎氏は東の大場、西(兵庫県三木市)の宮野鉄之助と名工の二人を関東、関西に二分して称えている。名工の故大場氏が鍛えた鋸の銘も「笹葉銘」で見事なものであり、小さく「稲荷大明神」の刻印がある。故大場氏も稲荷神を鍛冶の守護神とし、鍛えた鋸の一枚、一枚に稲荷神を封じ込めているのであろう。古い昔から鍛冶屋が何故稲作の神である稲荷神を信仰するのであろうか。鍛冶屋は鉄で農具を作り、農民の力によって、我が国が見事に開拓されたのである。古い昔から農耕と鍛冶屋は切っても切れない間柄であったのである。 古事記には「稲魂」の女神である「宇うかのみたまのかみ日本書紀には「倉うかのみたまのみこと迦之御魂神」、稲魂命」と記されている。この女神

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