大工道具に生きる / 香川 量平
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57手で、鋸板の歪ひずみ直しや胴付鋸などは本職の目立職人に依頼したが、その他の鋸は自分で目立し、いつでも見事に鋸挽ができるよう調整を怠らなかった。目立道具もすべて持ち揃え、歯槌も大、中、小と揃え、摺り込み鑢なども本職並みのものを持ち、小さな前挽大鋸などの目立をする職人がいたが「この鋸は歯裏のチョンガケが大切なのさ。チョンガケは鉋や鑿の裏を金板で押し切るのと同じさ」と言って菱鑢を使って見事に目立し、堅い松の胴差の長い天狗枘など見事に挽き出していた。「チョンガケという名前が、どうして付けられたのか」とその職人に聞くと「相撲の技にその名前があるので、そこからこの名前が付けられたのさ」と教えてくれた。鋸だけでなく、大工道具にも昔の古い言葉が次第に消え去ろうとする今の世の中である。 私が長年愛用した縦挽鋸(ががり)と汗で薄汚れした小さな御守りを一昨年、厚木市の前場資料館に寄贈した。私は大工の見習い当初から身体が貧弱な上に力が弱く、鋸挽するたび腰痛に悩まされていた。そのため、今は亡き母から小さな御守りが送られてきた。「氏神様の御守りだ、お前の腰痛を封じてある。自分で選んだ大工道に邁進せよ、決して弱音を吐くでないぞ」と、たどたどしい文字で手紙に認めてあった。しかし不思議にその御守りを腰に吊し、母を思い出しながら鋸挽すると、その御守りのお蔭か、あまり腰は痛くなく、その上縦挽鋸の目立がめきめき上達し、兄弟子に鋸挽は決して負けたことはなかった。温かく優しい母の心がこもった小さな御守りを後々まで大切に持ち続けていた。そんな懐かしい鋸にまつわる母の思い出が私にはある。 私が大工の見習いの頃は電動工具など何一つとしてなく、すべてが手仕事であった。その当時の大工たちは過酷な労働に耐えたため、後年になってそれが祟り、腰痛に悩んでいる者が多くいる。しかし桃山時代の宮彫師であった名工の左甚五郎利勝は丑歳の生まれで腰痛知らずであったといわれる。昔から大工は丑歳の生まれが良く、甚五郎のように腰痛知らずだと、昔親方が大工連中の前で言って大笑いされたことがあった。しかしその場で一人の大工が丑歳の生まれは大工に向いているというのは本当だと言って、その笑いを静めたことがあった。また大工の棟梁には短気者が多い。言い出したら後に引かず、弟子の叩く玄能の音一つにしても気に入らないのだ。しかしその短気が元気に仕事をさせ、そして見事な建物を作り上げる原動力となっているのである。 短気であった私の親方は、大工仕事となると「手が決まっている」のか正確で手早く、どんな仕事も上手にこなしていた。「手が決まる」というのは熟練と勘の良さであろうか。特に鋸挽は手が決まっていたのか、二枚の板を墨通り縦挽して合わすと「ピッタリ」と合う見事な鋸挽をしていた。「鋸挽は柄が大切なのさ」と言っていたが、鋸も良く、目立も上手で、正確に手が決まり、勘も良かったのであろう。その尺鋸は播州の宮野鉄之助の作で、現在私が使っている。 東京の鋸目立の名人である土田一郎氏が以前、「目で見る大工道具」を雑誌『室内』に連載した中に鋸柄に関しての記事がある。「鍛冶屋がせっかく苦心して上等の鋸を作っても、鋸柄のすげ方が悪ければ何にもならない。鋸柄のすげ方次第で、鋸の使い方がうんと違ってくる。もちろん使う人の好みや癖によって多少の違いはあるが、鋸のセンターにぴったり合っていない曲がった柄や、ねじれた柄、一方に片寄った柄などはいずれも落第である」と鋸の柄を仕込むのには十分注意するよう述べている。 昔から大工はもちろんのこと一般の人々も鋸の柄には桐の木が一番であることを知っていた。柄が大変に軽いということもあるが、鋸挽の折、掌の汗を吸収してくれ、滑らず摩擦を和らげる利点があるからだ。昔、桧で柄を作ったことがあったが、汗を引かず掌が焼けてくるので、御蔵入りとなっている。大工が作る桐の柄は、二つ割して込み巾をすこし小さく彫り付け、接着して乾燥させ、切り待ちのところに大根を一寸(3.3㎝)程に輪切りして挿し込み、込み先を焼いて柄に打ち込んでいた。大根の輪切りは、込み先を焼く折、熱が鋼に伝わらないためである。柄を打ち込む折には、土田一郎氏の言う注意事項を守らねばならない。打ち込んだ柄に薄い塩水を流し込むよう親方は指示したが、私はその指示に一度も従わなかった。理由は鋸の込みが腐食するのを嫌ったからだ。大工は高いところでの鋸挽仕事が多いので、柄が抜け落ちると、事故につながる危険性があるので、親方は込みが錆びついて抜けないよう、そのように指示していたのであろう。 現在市販されている籐巻の柄は一定の太さで作られているが、昔は自分の掌に合わせて握り具合を確かめ自作していた。人の手は「十人十色」で昔のように自分の手に合わせて作るのが好ましい。昔、古老の大工が使っていた両歯鋸の柄で、凧糸を巻き付け漆で固めた見事な柄を見たことがある。鋸の柄の一番使い勝手の良い長さというのは、鋸身と柄の長さが同じくらいが良く、尺鋸(33㎝)であれば柄は1尺、9寸鋸であれば柄は9寸という具合であるが、自分の使い勝手の

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