大工道具に生きる / 香川 量平
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中国雲南省の寺院の小屋組糸引き鉋の香川棟梁(著者)6いるそうで、その当時すでに中国人は規矩術を知っていたのかもしれません。黄河の下流のデルタ地帯は度重なる洪水に悩まされていた為、早くから土木、建築の技術が発達していたと思われます。 『中国文化のルーツ』の著書の中に度量衡の記事があり、源流として「黄おおしきせつ鐘説」「秬くろきびせつ黍説」「人体説」「多元説」の4つが主なものとなっていると説明しています。 「黄鐘説」は大変に古く、皇帝は笛を作るのに遠く崑こんろん崙に行かせ、太さのそろった竹を求めさせたので、一定の音律の笛の長さが一定であることに気付き、12の音律の基音である黄鐘の音を出す笛を度量衡の標準に選んだと言われています。笛の長さが「度」、笛の容積が「量」、笛に入れる穀物の目方が「衡」となったという学説です。 「秬黍説」は「度」は秬黍の粒を黄鐘の笛と並べると、90粒ぶんに当たるので、この1粒の幅を1分とし、10粒の幅を寸とし、100粒の幅を尺としました、それで中国の古代にこの尺を「きび尺」といいました。 「人体説」は「尺」は人間が手で物を測ることから始まったと言います。中国の西南部の少数民族の女たちは布を織るとき、手ではかり、大工も桟木を手ではかり、木の幹の周りをはかるときも「何手の太さ」と言います。 現存している中国の最古の物差しは商代(紀元前16~前11世紀)のもので動物の牙で作られている。長さは15cmから17cmの間で女の親指と人さし指をひろげた長さで、これを中国古代に「  」と呼びました。1  を尺とし、10尺を1丈としていました。「寸」は手の指の幅からきています。雨の少ない中国北方では、雨が降ったあと、土を握ってみて湿った土の深さと調べ「何指の雨だ」といいます。商尺は1尺を10寸に分けてあり、1寸は約1.6cmで女の指の幅とほぼ同じになっています。 「多元説」は長さで尺や寸というのは人間の手と関連し、尋は人が両腕を広げた長さだし、仭は人の高さと同じで、人体とかかわりがありますが、寸より小さく尋より大きい単位は尺度としては測れず、人体にかかわりがなく、寸の下の寸法は動物の毛を基準とし、尋より上は、里、舎、信などを使うと説明しています。 以上「郭伯南」の著書『中国文化のルーツ』から抜粋させていただきました。(削ろう会会報3号 1997.11.01発行)

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