大工道具に生きる / 香川 量平
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 19世紀初め江戸の目立師 職人尽絵詞より木鑢(竹中大工道具館蔵)(左から 大笹刃、相中刃、大挽切、中挽切、小挽切)木工用のセン(ミュージアム氏家蔵)三度切り目の仕上げ鑢65「銑」と書き、主に桶屋や曲物の職人が手前に引いて使った。金工用は「鏟」と書き、鍛冶職人が鋸の板スキや、鉋や鑿の裏スキに使った。『倭名類聚鈔』には「鏟ならし剗」と書き、「唐韻ニ云鏟剗ハ・・辧色立成ニ云鏟ハ奈良之一ニ云剗刀、上ハ平ナル木器也、下ハ削也。」辧色立成が云う、鏟ならしをはじめに削り刀と云う。上は平らなる木製の器具で、下は刃があり削るものであると説明しているようであるが、この鏟は木工用の銑であるように思える。平らなる木器とは鉋台のことであろう。下側から刃を取り付ければ削れるというのは昔、桶屋の職人が使っていた「正しょうじきがんな直鉋」のことで銑としても使えるし、正直鉋としても使えることを言っているのであろう。しかし、その当時(935年頃)、すでに正直鉋らしきものが現われていたと言うのは興味をひくところである。 平成9年、正倉院展で南倉から錯やすり一本が出展されていた。全長25.8㎝で柄は桧の丸桟で説明書によると「この錯は透かし彫りの彫金用具か木工用具である。透かし彫りというのは主に金工の加飾法で金属板や木材あるいは皮などを切り透かして文様を表すことで、金工の場合、切り透かす文様の輪郭に沿って小穴を穿ち、文様の間をきり鏨で切り取った後、ヤスリで仕上げる」と説明している。また南倉にはこのほかに2本の錯が伝えられているという。この錯、よく見るとヤスリ身は小さな平角で先に向かって細く反り上っている。上部にはヤスリ目はなく、側面と下部には単目の細かいヤスリ目が見える。反り上っているところから「鏝ヤスリ」と呼んでいる。しかし御物であるこのヤスリ、果たして全鋼製であろうか疑うところである。 木工の鑢には木鑢がある。13世紀頃の作と伝えられるこの木鑢、東大寺の法華堂から発見されている。その複製品が竹中大工道具館に展示されている。全長3尺7寸(約112㎝)で握り手が前後にあり、二人で大きな堅い木材を前後に動かしてすりおろしていたのであろう。鋼製の歯が斜めに40枚ある。中国ではこの木鑢を「蜈ごこうがんな蚣鉋」と呼び、歯が百むかで足の足のようであるので百足鉋という呼び名も持っている。(削ろう会会報36号 2005.11.21発行)

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