大工道具に生きる / 香川 量平
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聖徳太子像中国・台湾の魯般尺  その2  指金の話(2)7 「削ろう会」の皆さん、明けましてお目出とう御座います。今年は虎の年、いい年でありますようお祈りしています。虎は「螾いん」という異名を昔から持ち、「螾」とは動く、動き始めるということで「削ろう会」が動き始め出した縁起のいい年にあたります。 大工の三宝の一つである「指金」の話がつづきます。昔から指金には色々と変わった呼び名がありました。曲尺、鉄尺、尺金、大工金、矩差、矩尺、規矩尺などですが、差金には色々な伝説があります。 古い昔、聖徳太子が15才の時、百済の国に秦河勝なるものを遣わせて算具と工匠の堂宮建築の手法要具を我が国に持ち帰らせたと言う話が伝えられていますし、大阪の玉造に聖徳太子が四天王寺を建立したとき百済から番匠を招いた。その番匠達が大工道具を共に携えてきたのが短手がついた指金であった。 その指金を正目手本として難波(大阪)の指金作りの職人が連綿として今日まで受け継いできた。と言う話ですが、指金の歴史は古く、その上、大陸から伝えられた渡来尺であるために数々の伝説が生まれたものと思われます。 指金には長い方と短い方があり、長い方を長手とか長腕、長枝と呼びます。短いほうを短手(妻手)、短腕、短枝と言い、直角に曲がった角のところを「矩の手」と昔から言われています。また指金の裏目(角目)は表目寸法の√2倍の伸び目盛があり、短手の裏の内目には丸目といって丸材の円周が一目でわかるという便利な目盛が刻まれています。またいろいろな補助目盛もあります。長手の裏目の内側には魯般尺とか北斗尺、門尺、天星尺、玉尺、吉凶尺、八掛尺、門明尺と呼ばれる中国伝説にまつわる目盛があります。 魯般尺の目盛の寸法は1尺2寸を八等分し、一等分を1寸5分として、財、病、離、義、官、劫、害、吉としています。この寸法は中国の大工の神様と呼ばれる魯般という人物が作り出したという伝説があります。 我が国の魯般尺は1尺2寸を八等分していますが、中国の魯般尺は表目の対角線である1尺4寸1分4厘2毛の寸法を八等分しているので、日本の魯般尺と中国の魯般尺には2寸1分4厘2毛という差があります。中国では今もこの魯般尺を使って、仏壇や仏具などを作っていますが我が国では現在はほとんど使われていません。 昔の宿曜道と呼ばれる中国式の占星術からきた迷信上の寸法ですが、今も古老の大工が上棟式の時、棟札を作るのにこの寸法を使っているのを見ることがあります。 昔、豊臣秀吉が大阪城を築城した時、この魯般尺を使ったという話が今も大工仲間に語り継がれています。また旧家の古い門を解体した時に「門尺が使われている」と親方が言ったことがありました。 このさしを何故北斗尺と呼ぶのかと聞かれたことがあります。この北斗尺には中国の伝説があります。 古い昔、魯の国に大変器用で頭のいい大工がいました。この大工を魯ろはん般と呼んでいました。ある時皇帝より、「人民が驚くほどの楼門を建立せよ」という命を受けたのですが、寸法を割り出す「ものさし」がなくて毎日思案していた。ある夜夢の中で北斗七星の4番目の星である「分曲星」が表れて、困っている魯般を連れて分曲星に行き建物の「ものさし」を教えました。

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