大工道具に生きる / 香川 量平
70/160

鉄製 彫刻鑿鑿の種類70る「平ひらま待ち木もくせいのみ成鑿」が大工の間で現在のところ好評のようである。 『江戸萬物事典』によると、昔、鑿を「さく」と呼び、柄を「けい」と呼んだ。鋸を「きょ」といい、鋸きょさく鑿といえば、鋸と鑿のことで、鑿さくだん断とは鑿で木をたち切ることである。また鑿さくせき跡とは鑿の刃跡のことを意味する。『和漢船用集』には鑿の絵図が多く書かれているが、現在の鑿の姿や形とほとんど変わっていない。絵図の中に「無はなしのみ刃鑿」というのがある。この鑿は、昔、船大工が自作したもので、船の修理や解体の荒仕事に使ったもので、「ばらしのみ」とも呼ぶ。絵図にある「打うちぬきのみ抜鑿」は、昔、船大工も使っていたが主に建具職人が建具の枘穴を穿つとき、鑿屑を打ち抜くのに使う、刃は無く先端が平角になっているので、大工も玄能の柄が折れ込んだときなどにこの鑿を使って追い抜くので「追おいぬきのみ抜鑿」とも呼ぶ。 木の国と呼ばれる我が国には古い昔から木材を上手に加工して生業とした職種が数多くあり、それぞれの職人たちは自分の細工に適した鑿を刃物鍛冶に注文して鍛えさせたので見知らぬ特殊鑿が数多くある。「向う待ち」という鑿がある。建具職人が建具材に枘穴を穿つとき、打ち込みながら向うに捏ねるので背の部分の肉が厚く頑丈に鍛えられている。「平ひらま待ち鑿のみ」というのもある。薄鑿で枘穴の側面を突くのに都合よく、大工も家の造作仕事のときによく使う。また「二ふたまたのみ又鑿」とも「二丁鑿」とも「二丁向う待ち」とも呼ぶ鑿は建具の枘穴を一度に二本の鑿で穿ったように二つ正確に仕上げることができるので建具職人は仕事の能率が上がり、大好評であった。また突鑿のような「組くでごしのみ手腰鑿」がある。この鑿は建具職人が面取り障子の組手腰を取るのに使っていたもので、昔は鉾の形をしたもので突いていたが改良され、両方一度に面を取ることができた。しかし昭和30年頃から動力の穴ほり機や大型の木工機が導入され、長年使われてきた建具職人の手道具は次第にその姿を消していった。 最近の建具は技術の向上と優良木工機と強力な接着剤により、建具の枘穴は貫かず、「突止め穴」としているので建具が高級化しているように見える。四国では、このような穴を「より込み穴」と呼ぶ。その穴底の鑿屑をかき出して平らにする鑿を「底ざらえ鑿」とか「かき出し鑿」と呼び、今も建具職人は使っている。四国の大工は「突止め穴」を「袋穴」と呼び、その穴に追い込む枘を「袋ふくろぼそ枘」と呼ぶ。最近の大きくて重い洋風のドアなどは穴を穿ち、枘を入れるという細工は無く、1㎝程の丸栓が枘がわりに打ち込まれ、接着剤によって組み立てられている。 昔から鑿の柄(つかとも呼ぶ)は白樫の芯持ち材が最高とされてきたが、赤樫やグミ、檀木、黄つげ楊などもある。昔、穴ほり専門の穴屋という職人は、鑿の柄に乾燥した秋グミの芯持ち材を使用した。大きな玄能で一日中叩くので、柄に叩き割れがよく生じたが、秋グミの柄はどうしてか割れのひびきが少しも掌に感じず、また掌の汗を引き、鑿廻しが大変に楽であったという。鑿廻しとは、掌の中で自由自在に鑿の柄を持ち換えられることであり、穴屋の職人たちは秋グミの利点を知り、好んでよく使ったのであろう。大工も昔から秋グミの利点を心得ていて、よく自作したものであるが、最近は便利で正確で楽な電動工具の普及で、現在の大工はその利点などには無関心のようである。 (削ろう会会報38号 2006.05.08発行)

元のページ  ../index.html#70

このブックを見る