下駄職人のコテ鑿下駄職人の十能鑿72いうのは、1尺(約30.3㎝)前後である。造作用に使う「追入鑿」は7寸5分(約23㎝)前後が使いやすく、鑿廻しが楽であると昔から言われている。 『和漢三才図会』に「佐さすのみ須鑿」は柄の長さが尺近くあり、と説明しているのは、現在大工が使っている「突鑿」のことで、「大突」とも呼んでいる。柄にはほとんど「冠(下り輪)」はついていない。種類には「本突鑿」「薄鑿」「鏝こてのみ鑿」「鎬しのぎのみ鑿」などがある。昔、四国の大工は「突鑿持たぬは大工の恥」などと言って、持たぬ大工を馬鹿にしたので、誰もが8分(2.4㎝)と1寸6分(4.8㎝)を一組として持ち合わせていた。 昔、四国で新築する家は、入母屋造りの八やつおだて尾建で、玄関の見付には必ず大きな欅の大黒柱と小大黒柱(向い大黒とも恵比須柱ともいう)が使われる。大黒柱には松の長物が四方差となるので、枘穴さらえには突鑿が不可欠となる。長い柄には重い紫檀や黒檀が使われているのは、欅の枘穴さらえのとき、柄の重さによって突き下ろすそのとき、突鑿の威力が発揮されるからである。また重くて長い柄の突鑿は大変に研ぎづらいので、最近は穂首と柄が棯ねじ子の組み合わせになっていて、取り外して楽に研げるものがある。私が見習い当時、突鑿の研ぎには、長い柄を紐で右腕に縛り付けて研ぎの稽古をさせられたものである。また親方は切れ刃の地金の部分を「トンボ鏟」で軽く削りおとし、見事に研ぎ上げていた。数ある突鑿にはすべて鞘仕込とし、刃先を痛めないよう保護し、誰もが大事に扱った。 鏝鑿は左官が使う鏝の形に似ているところから、その名があるのだが、昔、左官が土を受ける鏝板がよく反り上がるので蟻桟を入れようと考え、大工から小さな底ざらえ鑿を借りて作り上げた。左官が鑿を返すとき、鏝のように首を曲げたら使い良いだろうと言ったことにヒントを得て作り出されたので、鏝鑿という名がついたという。穂巾は1分(0.3㎝)から1寸9分(5.7㎝)まである。 鎬鑿(埋木鑿ともいう)というのは、甲と呼ぶ穂の表が三角の山形で峰とも呼ぶが、耳の部分が薄く鋭角となっているので、大工が新築する構造材の「蟻おとし」の三角の部分を突きおろすとき、この鑿が必要となる。穂巾は5種類ほどあるが、主に8分(2.4㎝)を持つ大工が多い。また造作用の追入鑿にも鎬鑿があるが、耳の部分が薄いので大節には要注意である。 特殊鑿には名も知らぬ変わり鑿が数多くある。特に「木彫鑿」とも「彫刻鑿」とも呼ぶものには約500種類以上あるのではないかと言われている。「木工用バイト鑿」というのがある。木工用旋盤(ろくろともいう)に使われる鑿は、昔、木きじし地師が自作していたのだが、最近は高温に強いハイス鋼で作られたバイト鑿が使われている。「平バイト鑿」「丸バイト鑿」「双刃バイト鑿」などがある。 「氷鑿」というのがある。氷の彫刻に使う鑿で「平鑿」「三角鑿」「サジ鑿」などがある。作りは突鑿形で冠はなく「北海道鑿」とも呼ぶ。「木型屋鑿」とは鋳物師の型枠を作る職人が使う鑿で「鏝丸鑿」や「平鏝鑿」など見知らぬ変わり鑿が多くある。 「下駄屋鑿」の中に「十能鑿」と呼ぶ変わり鑿がある。昔、柄の付いた「ひかき」と呼ぶ十能があったが、この台所用具に似ているところから、この呼び名がある。この鑿は、京都の舞妓さんが履いている「ポックリ(コッポリ)」と呼ぶ桐下駄の裏底の側面や桐の男下駄の歯の側面を突く鑿で、先端にある角つのは刃が側面にたち込まない役目を果たしている。最近ほとんど見かけることがなく消え去ろうとする鑿である。 鑿には硬口と甘口とがあり、大工が使う叩き鑿などは甘口が良いとされている。硬口はよく切らすのだが、節などに行き当たると刃毀れが生じやすいので大工は好まない。 鑿の側面を耳と呼び、カスガイ状に鋼を巻き上げ鍛えているのが鑿の大切なところである。四国の大
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