大工道具に生きる / 香川 量平
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九州天草砥の切断面砥石を挽いた弓鋸出土した砥石(島根県安来市広瀬町教育委員会蔵)76 その34  砥石の話 私が天然の仕上砥石と出合ったのは小学5年生の時であった。その当時の小学校は国民学校と名付けられていて、男子生徒のほとんどが肥ひごのかみ後守と呼ぶナイフを持ち歩いていた。刃物好きの私は大と小の二本を持ち、クラスの仲間に新聞紙を縦切りしては切味を自慢していた。しかしその陰では父のビンタに耐えなければならなかった。夕方「また砥石を使ったな」と父の大きな声が脱衣室から聞こえる。父が大切に使っている「剃刀砥石」を使ったからである。母が哀れな声で「お前また叩かれるよ」と言ったが友達にナイフの切味を自慢するため、いくら叩かれても止めなかった。父も私の強情さに根負けしたのか砥石の裏側を使うよう折れてきた。「紙は切るな、紙の中には石灰が混じっている、ナイフの切れ止みが早いぞ」と忠告してくれた。その当時の男子生徒は肥後守で鉛筆を削り、竹トンボを作るのに使っていたが、現代のような殺傷事件など誰一人として起こしたことはなかった。 「砥石は王城五里を離れず」という古い言葉がある。良質の天然仕上砥石が産出されるところには都があり、大きな建物があるという意味で、言い換えれば、仕上砥石の陰の力によって立派な建物が仕上がったとも言える。 我が国で砥石が使われていたという歴史は大変に古く石器時代に遡る。その当時石斧の先を鋭利にするため砂岩の粗いものを使っていたのであろうか、表面が湾曲した砥石が古墳などから磨製石器とともに出土している。その後、鉄器の出現により砥石は不可欠なものとなり、人間の生活用具や農具、工具、武器などの研磨に使用され、我々の生活に大変役立ってきた道具である。しかし砥石が大工道具でないという説があるが、砥石は鑢やすりなどと共に陰の力となり今も大工の協力者である。私は砥石は大工道具の一員であり、重要な伴侶であると考えている。刀匠の鍛えた日本刀や、農具、工具の打ち刃物も砥石がなくてはその機能を十分に発揮することはできない。 砥石は「荒砥」「中砥」「仕上砥石」の3種類に大別される。荒砥は砂岩系で、その名の通り肌は荒く、昔の鍛冶師は荒砥を使って刃物の形を整えたり、刃付の下研ぎ用として大切に使った。また大工も自分の使う刃物が傷んだり欠けたりすると荒砥を使った。荒砥が採掘されているのは九州の佐賀県唐津で「笹口砥」と呼ぶ。また長崎県の大村で採掘されているのが「大村砥」である。和歌山県の白浜で採掘されているのを「目透」と呼んでいる。どれも砂岩であるため刃おろしは良いのだが、砥面の磨耗が早く狂いやすいので、現在あまり使用されていない。 天然の荒砥に取って代わったのが人造の金剛砥石である。最初に作ったのが奈良県の大和地方に産する「ざくろ石」の粉を松脂や膠で練り固めたものであったという。現在ではアルミナを主成分とした金剛砂を用途によって粒度分けして硬い砥粒を焼成している。刃おろしが良く砥面の磨耗が少ないので一般の人々にも多く使用されている。大工が使う石の荒さはメッシュ200番前後で、使い減って砥面が湾曲すると、大工は釿ちょうなの荒研ぎ用としても使う。

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