大工道具に生きる / 香川 量平
77/160

九州天草産出の「備水」77 中砥は「流紋岩系」が多く、荒砥で大体の刃付ができたものをさらに細かく研磨していくのが中砥である。天然の中砥といえば、京都の亀岡で採掘されている青砥が古くから有名であるが、現在あまり使われていない。だが、昔気質の職人には青砥で研がないと気が済まないというのが今もいる。この青砥はゴロタ石で掘り出し、石挽き用の丸鋸で裁断して製品としている。昔は「弦つるのこ鋸」と呼ぶ一風変わった二人挽きの鋸で砥石を挽いていたという。青砥の研ぎ面は柾目面を用い、天然の合わせ砥石は板目面を用いて研ぐ。青砥には「胡麻」と呼ぶ黒または赤い斑点がある。切り出してから長期間使用せず、風などに当たっていると縦割れが生じていることがあるので購入の時には要注意である。昔から「大事な砥石には水を打て」という大工言葉がある。天然砥石は乾燥や直射日光、特に凍てつきには注意を要する。 私が中国の雲南省の川底で拾ってきた青砥らしき石を面直しして鉋を研いでみると黒い研ぎ汁が出て、研ぎの良さに驚いたことがある。我が国の天然中砥は多くの種類があり、昔は約173ヶ所で採掘されていたというが現在ではほとんど掘られていなく、幻の砥石と呼ばれているのが多い。故村松貞次郎氏は中砥の約90%が人造中砥であると『大工道具の歴史』の中で述べている。また、京都の故久我睦男氏や倉敷の故長原正則氏が生前私に「天然の中砥は衰退してしまったが人造中砥は研究が進み、改良されて見事に作られているので将来が有望である」と述べ、「貴殿のような砥石の使い手は当たり外れのない人造中砥を使用されよ」と両氏から指示されている。大工が使う人造中砥はメッシュ1000番前後である。品質が良く、格安であるため一般の家庭でも数多く使用されている。 熊本県の天草に「備びんのと水」と呼ぶ白色の大きな中砥が採掘されている。この砥石は日本刀の研ぎには欠かせないもので、研師が砥面を中高に湾曲させて研いでいる。「上白」といえば上物で、メッシュ約700番で、赤と呼ばれるものは約500番である。「備水」という名の由来について天草で働く大工の棟梁、池田誠氏から昔話を聞いた。昔、砥石山を総監督する砥石奉行の役人たちが、石の割れ目から湧き出る冷たくて綺麗な水で朝夕に鬢びんの手入れをしていたことから、この石に備水と名付けられたという。また砥石山に奉行所があったというのは、砥石は武器の一つとして重要な位置を占めていたので砥石山は大名によって維持監理され、他国には少しも譲らなかったという。備水砥の坑道は昔二ヶ所あったが、現在は一ヶ所となり採掘を続けている。 愛媛県の砥部市で昔、伊予砥が多量に採掘されていたが今は閉山し、幻の砥石と呼ばれかけている。私が子供の頃には、どの農家も井戸端に大きな伊予砥が置いてあり、農作業に出る前、大人たちが鎌や鉈など研いでいた。最近、農家の古い納屋を解体していて使い古して中央部が窪んだ大きな伊予砥を見つけて貰い受け、砥面を修整し、鉋刃を研いでみた。黒い研ぎ汁は出たが私が期待していたほどには研げない。昔の大工はこのような砥石を使って刃物を研ぎ上げるのには苦労したことであろう。しかし、見事な名建築を数多く作り上げたのには頭の下がる思いである。 天然の仕上砥石は「粘板岩」で俗に「合あわせ砥といし石」と呼んでいる。いつどこで誰が言い出したのか「合せ」という言葉は夫婦が肌を合せるところからきたという。事実、天然の合せ砥の肌を撫でてみると実にいい感触が指先に伝わってくる。昔、合せ砥の肌をスーッと撫でてみて、石の良し悪しを知る勘のいい古老の大工がいた。 中砥で研ぎ上げた刃先をさらに緻密に鋭く研ぎ上がるのが天然の合せ砥である。この砥石は京都府、福井県、滋賀県の三府県に跨がり、数ある鉱山から採掘されているが、京都産のものが最高の品質で、その採掘場所の地名が砥石に名付けられていることが多い。砥石の層には「天井巣板」「八枚」「千枚」「戸前」「合さ」「並砥」「本巣板」などとなっている。また各鉱山より採掘される石には色、形、硬さなどそれぞれの特徴があり、質にも一丁づつ微妙な違いがある。詳しくは、京都天然砥石組合が編集した『京都天然砥石の魅力』を読まれれば、すべてのことを理解することができる。

元のページ  ../index.html#77

このブックを見る