大工道具に生きる / 香川 量平
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稲荷神社の棟札(沖野幸平棟梁) (削ろう会会報43号 2007.09.10発行)京都 広隆寺の釿始め83太子と縁の深い京都の広隆寺では、昭和56年に番匠保存会が結成され、番匠儀式と木きやりおんど遣音頭を後世に伝えようと活動を始め、毎年正月2日、本堂の御前で「墨矩の儀」「墨打ちの儀」「釿打ちの儀」が古式に則り、行なわれている。墨矩の儀は御木の芯出しを行ない、墨打ちの儀は御木の表面に三本の墨を打つ。釿打ちの儀では工匠長が御木に腕がためといって1回打つ、もと木側で9回、中央部で9回、末口側で9回と合計28回打つ。9は九曜を表し、28は二十八宿を表しているのだという。その年の工事の安全を願い、天の神、地の神と共に我々を守り賜えという心で釿を打つのである。 上棟式は建築儀式の中でも一番大切な行事の一つであり、昔の『匠しょうかこじろく家故実録』によると堂宮建築の上棟式の儀式は「曳綱の儀」「槌打の儀」「散餅散銭の儀」の三儀の手順が詳しく説明されているが、一般の住宅では「棟上げ」とも「立前(建前)」とも呼んでいる。私が大工の見習でいた頃の立前は、大安吉日を選び、親戚・知人・隣人などの男衆が大勢集まり、すべて人力によって行なわれていた。しかしその頃の手伝いの男衆は、大工の図面を見て建てていく順番をよく知り、また建前などの手伝いの経験者も多く、棟梁の指示に従って一生懸命になって上棟に向けて協力していた。しかし、今考えてみれば、人身事故などよくぞ起きなかったものである。 一日で建て上がる家もあれば、二日がかりの家もあった。夕方には赤白の餅まきの準備も出来上がり、満ち潮の時間になると棟梁の指示で上棟式が始まる。下では女や子供が大勢集まり、四方がための大きなすみ餅を拾おうと女衆も子供も一生懸命である。四方がためのすみ餅を拾った者は、自分の家が必ず建つという言い伝えが昔から四国にはあるからだ。上棟式の後は「祝い酒」に酔うが、棟梁の顔に安堵の色が見える。 棟梁はどの家でも三つの間違いを作り、上棟するものと言い、「完全無欠」の家は作るなと見習たちに教える。理由はもう少しのところで止めておくのが、その家が吉となるからだという。また、家の小屋組に「あまり木」を使用せよと四国では昔からいう。あまり木というのは雷の落ちた立木であるが、その木には天の余った力が宿っていると人々は今も信じている。あまり木を小屋組に組み込めば、施主の家運が上昇し、お金が余りくると、棟梁も昔からの言い伝えを今も守っている。また左官の棟梁も床の落掛の裏側を塗らないのは、「完全無欠」にはしないという昔の言い伝えを心得ているからだ。昔の職人は、すべて施主の家運が上昇するようにと願い、御正念の入った仕事をしたのである。 棟札は昔から家を守護する護符とされ、厚みは桧の一寸枚で、寸法は指金の魯般尺の吉寸である財、義、官、吉の寸法で作る。形はそれぞれの棟梁によって異なる。表の上部に書く「天あめのみなかぬしのかみ御中主神」は北極星で、垂直・水平の神とされる「屋やぶねくくのちのみこと船久久遅命」は樹木を司る祖神で、「屋やぶねとようけひめのみこと船豊受姫命」は稲の豊穣をもたらす女神で右、左に書き付ける。「手たおきほおいのみこと置帆負命」と「彦ひこさちのみこと狭知命」の二神は工匠の祖神で、技工の神である。木造建築の多い我が国では、火伏の神として、水神である「罔みずはのめのめがみ象女神」と五帝龍神が書き付けられ、沖縄では「霜柱、氷の軒に雪の桁、雨の棟木に露の葦草」と火伏の護符として書き付ける。棟札には建築の年月日、施主と棟梁、工事関係者一同が書き付けられ、建築の神々と共に永遠に家を守護するのである。

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