大工道具に生きる / 香川 量平
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「春日権現験記」に描かれている容器の複製〈部分〉(竹中大工道具館蔵)85ら数多くの無縁仏が埋葬されている可能性が高いので土地の購入に際しては注意を要すると忠告している言葉である。 一体どのような土地が吉相であるのか。昔から伝えられている吉相に「風水」という言葉がある。昔、都の建設や住居、墓などの地相が吉である土地を見定めるために用いられた言葉であり、「四しじんそうおう神相応」とは四神に相応した最も貴い地相のことをいい、東を守護する青龍、西を守護する白虎、南を守護する朱雀、北を守護する玄武で、そのような土地が吉相であると昔の人々は考えたのである。現在の一般住宅などでは、そのような土地は到底無理な話であり、昔から住めば都という故事がある。自分が見定めた土地が最上であると家族一同が自信を持ち、その土地の上に建てた家で明るく健康な生活を営んでいくのが吉相の土地を選んだことになる。 地鎮祭が無事に終わると基礎工事に着工するが、もし建て替え住宅などであれば、以前に建っていた家の瓦や煉瓦、陶器など、焼物の破片などすべてを撤去しなければならない。その理由は「大工道具に生きる その19」(40ページ参照)で説明しているので参照されたい。新築しようとする家の位置は施主と立ち合いのもとで図面の通り決定するが、軒の出や境界線などのすべてを大工は考慮する必要がある。位置が決定すると貫ぬきいた板で6、8、10の寸法で大おおがね矩を作り、直角の墨出しを行う。現在の遣方枕は鉄製であるが昔は木杭であったので杭を打ち終わると杭の先端は鶍いすかぎりとし、後日に先端が少しでも傷んでいたら水平の貫板を見直す必要があった。 「春かすがごんげんけんき日権現験記」という絵巻物が鎌倉末期に描かれている。その絵巻物の中に中世の水盛と遣方の絵図がある。水盛の容器は木製であろう。大工の見習いらしき童が桶から水を柄杓で注いでいる。その傍らで大工が遣方の糸から水面までを定規で測っている。実に幼稚な水盛の施工法だが、現存する巨大な建造物や基礎工事に今も驚かざるを得ない。 昔から「辰たつみげんかん巳玄関、戌いぬい亥の蔵くら」という諺がある。真四角の敷地であるが、どうしても玄関を辰巳に向けたいという施主がいた。そのように建てると敷地の使い勝手が大変に悪くなってしまうのだが、辰巳玄関といえば昔から吉相の方位である。辰巳とは南東の方位で「巽たつみ」とも書く、「調和、社会の信用、仕事の繁栄」という運勢がある。戌亥とは北西の方位で「乾いぬい」とも書く。この方位は「天の位」と称し、倉庫や蔵を作るのが最高の方位と言われている。しかし「鬼門」と呼ぶ悪い方位がある。「丑うしとら寅」と呼び、北東の方位で「艮こん」と書き、表鬼門である。その反対の対角線の方位を「未ひつじさる申」と呼び、南西の方位で「坤こん」と書き、裏鬼門  と呼ぶ。この方位には便所とか、火や水を扱う場所は凶であり、家の図面を作るときには注意を要すると家相では説明している。 家相で一番気にするのがこの鬼門であるが、この思想は昔、中国から伝えられたもので、日本の土地や風土には当てはまらないという人がいる。あまり家相の吉や凶にこだわらない方が良いと、その人達は言う。しかし吉や凶を深く信じていた施主がいた。昔、家の修復工事を依頼され、道具立てをして出向いていくと、その家の主人が今日仕事に取りかかるのは凶であるので明後日にして欲しいと言う。朝からカッときたが、心を静めて返り、後日に出直した。しかし仕事が終わる日が近づくと、施主が吉日に終わるようにと仕事を急がせた。あまり「吉凶」にこだわり過ぎてか、その後家の跡目は絶えてしまった。今も家は現存するが家の前を通るたび、吉と凶で失敗したあの髭じじいの顔が思い出される。 さて、四国地方の昔の基礎工事は現在のようなコンクリート基礎は少なく、柱が立つ通りには割栗石や玉栗石に砂利などを加えて幅広く敷き並べ、その上から「土どづき突」で突き固め、コンクリートで布基礎を打ち、乾燥すると4mもある長ながいし石と呼ばれる七寸角の花崗岩を据えるのである。土台はなく、石の上に立つ柱当りは石工が水平に均す。地盤を突き固める土突は1m程の生の松丸太で2本の握り手を取り付け、親おやびと人が握り手を持ち、丸太の端に鉄輪を付け、それに手綱を通して数人の男衆が「ヨイショ、ヨイショ」と声をかけながら手綱を引き上げては、ドスン、ドスンと落として突き固めて移動していく。その間の面白歌は疲れを癒す掛け声でもあった訳だ。重労働なので施主は休憩の

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