徳島県の木材業組合が建立した木霊の碑 その38 建築のよもやま話(3)87 第43代元明天皇の勅により、太おおのやすまろ安万侶が『古事記』という歴史書を編纂した。その上巻の初頭に、国生みの面白い記述がある。「ここに其の妹、伊いざなみのみこと邪那美命に『汝が身は如何に成れる』と問へば『我が身は成り成りて成り合はざる處、一處あり』と曰し給ひき。伊いざなぎのみこと邪那岐命、詔り給ひつらく『我が身は、成り成りて成り餘れる處、一處あり。故、此の吾が身の成り餘れる處を、汝が身の成り合はざる處に、挿し塞ぎて、国土生み成さむと思ふは奈何に』と詔り給へば、伊邪那美命『然、善けむ』と曰し給ひき。」(原文のまま)とある。そして40もの国土と神々を生み出したのである。12番目に生まれた木神の御名は「久くくのちのかみ久能智神」と呼ばれる木の祖おやがみ神で、背が高く、美男子で、古い昔から大工の棟梁たちが厚く崇拝した。この神は緑色の袴を着ていたという伝承があり、今も大工の棟梁たちが緑色のネクタイを好むのは、このためであるという。 この木の祖神は、我が国に芽吹くすべての木に霊魂を与えるのだといわれる。またこの神は大工の棟梁が上棟式のとき、「棟札」に家屋の守護神として「屋やぶねくくのちのみこと船豊受姫命」の二柱の神を書き付ける。古くからの建造物はすべて木によって組み立てられていたので、何事もなく安らかに住うことができると共に、末永く家を守護していただくため、棟札に書き付けたのであろう。 故西岡常一棟梁は「木には二つの命があり、一つは木の樹齢で、もう一つは木が伐採されて建築用材として生まれ変る命があるのだ」と言う。全くその通りである。昔、杣そまびと人が大きな樹木を伐採しようとするときは、必ず御神酒を供え、線香を立てて木の霊魂を鎮め、「木の命を絶つが、建築用材として再出発して欲しい」という呪文を唱えるという。それが杣人のいう「地もらい」「木もらい」ともいい、鉞立ての儀式だと昔から言われる。 また伐採される樹木にも木の霊魂が宿っているので、杣人が一人で伐採すると木の霊魂に負けてしまうので、鍛冶師は鍛える斧すべの側面に鍛冶の神(すなわち雷神)の稲妻を右に3本、左に4本と刻み込み、杣人が木の霊魂に負けないようにしてあるのだと昔から伝えられている。もう一説では斧の側面に刻まれているのは鍛冶師の護符で、三者の神と四天王だという説もある。杣人が木霊に負けないよう鍛冶師は七人の武将を斧に封じ込み杣人を巨木に立ち向かわせたのだ船久久能智命」と女神の「屋やぶねとようけひめのみことという伝承が鍛冶師には今もある。 常光徹氏の『土佐の世間話』の中に、土佐(高知県)の大野ヶ原に昔、4日や5日では到底伐り倒すことの出来ない見事な桧の大木があったそうな。その木を伐り倒そうという話が持ち上がり、杣人が伐り始めたが、翌日の朝杣人が行ってみると、昨日はつったはずの伐り口が元の姿に戻っているので、不思議に思い、一晩中見張ることにした。そして正体を掴もうと考え、ひそかに隠れて夜の更けるのを待っていると、丑三つ時(午前2時頃)と思う頃に「ウドウド、ウドウド」と話し声が聞こえ始めた。「来たぞ」と杣人が聞き耳を立てていると大勢の小僧たちが「これはそこの小端だ、それはここの小端だ」と拾い集め、見る見る内にちゃんと継いでしもうた。そして小僧たちから「まあ人間さまは知らんのかよ、しかし七くじ半の入った斧と桑の木で作った墨壷と石しゃくなげ楠花の木で作った墨指を持ってこられたら俺たちも木端を継ぐことはできない」と聞いた。杣人は翌日から小僧たちから聞いた道具を持参して、ようやくその桧の大木を伐り倒したという。その伐り株は畳が4枚も敷けるほどの大きなものであったそうな。その話を聞いた村人たちは、あの小僧たちは桧の大木に宿っていた木霊であったと言い合ったという話が、今も語り伝えられている。樹木にはフィトンチッド現象というものがあり、植物が傷つくと、痛められた生物を殺す物質を発散させる作用があるという。樹木の不思議な現象である。 樹木の中には注連縄を張り巡らした神木が全国各地にあり、誰もが恐れて伐採はしない。そのため、電車や道路が迂回しているところが多くある。昔、神木を倒して、ないがしろにしたため、一族や多くの人々がその祟りを受けた昔話が全国各地に残されている。神木は天から神がその木を伝って地上に降りてくるものと伝えられているが、その神木を伐り倒すと木の精が住かを失って人間に向かって襲いかかってくるのだと
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